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どのようにご供養したらよいのでしょうか…

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精神科の看護師をしています。
ずっと心に引っかかっていること、そう思いたくないですがそれが原因…?かとも思えてしまっているできごとも現在起きていて、でも身近でこのようなことを相談できる専門の方がいないので、悩んでいます。こちらのサイトをみつけ、相談してみようと決意しました。

担当していた患者さんが、治療を始めた矢先に亡くなってしまいました。(原因は医学的に説明できるもの)
その患者さんが治療を選択したり、治療を受けられる手配を整えるのを、担当である私は看護師としてできることはしようとその時は全力であったのは、誓ってうそではありません。
ただ、亡くなったあとで、専門的な部分にもなってしまうのですが、私の行った言葉がけや行動でその治療に患者さんが望んだならば、結果的にこの患者さんの寿命を私が短くしてしまったのだと思えます。もっとしっかり日頃から勉強する姿勢を持ち、知識を持ち、情報を集められていたならば、別の選択肢を選ばせてあげられたのではないか、それをできてこその看護師だと思います。精神科であるならばなおさら、なのです。
だから、その患者さんは、そのようなことを思う方だとは思っていない反面、私のことを責めていてもおかしくないと思います。
そしてさらに私は、この仕事をしているにも関わらずご遺体を目の前にするのにはいつも怖さみたいなものがあり、上記の経緯もあり、この患者さんへ最後にあいさつができたであろう霊安室にも、足を運ばなかったのです。最後にごめんなさいと、ちゃんと伝えず、お見送りも避けたのです。

後悔しています。
この患者さんへ、今できるご供養があるならば、どのようにさせてもらえればよいのでしょうか。お墓参りやご自宅に行くことは、難しいです。
教えていただければありがたいです。
よろしくお願いいたします。

2024年3月26日 23:16

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最善を尽くしたならよし!

ご質問拝読いたしました。

愚僧は、坊主がメインですが、
骨接ぎとして患者さま  
を診ますし、
精神科PSWとして、
お話を聞くこともあります。
主に知的障がいですが。
実際難しいでね。
対応に苦慮するケースは、
多々あります。

坊主ですから、
同然、ご遺体と対面し、
ご遺族の皆様とお話いたします。

昨年実父を亡くしました。
90歳を超えており、
天寿を全うしたと言えますが、
特に疾病があったわけはなく、
死亡原因は、老衰になります。
最後の最後まで、
父の回復を祈っておりましが、
傾眠傾向が強まり、
酸素呼吸を行いましたが、
特に延命措置は行わず、
息を引き取りました。
いろいろな思いが
去来しました。

回復を信じて祈った。
また声がけもしました。
病気はないのだから、
まだまだ生きられる。
気力を振って!
がんばれ!

しかし叶いませんでした。
眠るように往生しました。
世間的には大往生でも、
悔いが残りました。

ある時に、
ふと思ったのですが、
これだけ真剣に祈ったのに、
亡くなったのだから、
これは天命であったと。

医学的には、
存命措置は可能でしたが、
敢えていたしませんでした。
本人が生前望んでおりません
でしたので。

正解などありませんよ。
精一杯生きて、
天命をいただいた。

人の生死は、
人智を超えているように
思います。

ご遺体と対面することの多い
私ではありますが、
実父の死を通じて、
天命をいただく、
と言う思いが確信となりました。

前日、お葬儀を勤めさせて
いただきましたが、
葬家の皆様に、
そうお話させていただきました。

儚い人生であるからこそ、
我々は精一杯に、
今を生きていくべきなのでしょう。

後悔ではなく、反省を
反省を教訓として、
今は活かしていく。

それが、
先に亡くなった方への
何よりの御供養、
手向けであると、
思いますよ。

前をしっかりと見つめて、
今日を生きてください。

ご活躍を祈念いたします。

2024年3月27日 0:22
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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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この初心を大切に

 こんばんは。ご相談を読ませていただきました。そして、あなたが現在のお仕事に、とても真摯に向き合っておられるのを感じました。
 私たちは皆、不完全なままで仕事についています。これは「現場に立つには十分要件を満たしているが、最高完璧ではない」という意味です。私たちも、お葬儀に行くには「お経や儀式はきちんとできるが、すべてのご遺族に安心を提供できるとは限らない」ままでお伺いするのと同じです。
 そこまでは皆同じ状態。ドクターでも高僧でも、最初は駆け出しです。
 ですが現場にあって、どれだけ伸びていくかは、その人の意思や心がけによります。さらに、その多くは失敗や悔しさ、自分に対する見方の厳しさによります。
 あなたが今できる精一杯をしているか。問うことはその一点です。その点、あなたは良くやったと感じます。後悔していることも含めて。
 ですから、この心がけを忘れずに、今後研究努力して、新たなご縁のもとで精一杯のことをされるといい。今はお会いできずとも、思い出した時に心の中で謝りご冥福をお祈りすればいい。私はそう考えます。
 現代人の不幸は、機械を使いすぎて、自分までそのように見てしまうきらいがあることです。店頭に並ぶスマホは、既知の問題点をすべて潰してから出荷されます。そういうものばかりに接していると、最初から完璧で当たり前…と思いがち。けれど私たちは機械ではないのです。まだ…いつまでも不完全なまま社会で活動しているのです。
 だから「ごめんなさい」「ありがとう」という言葉があり、それを使うことでお互い様の世界を生きているのです。
 ご遺体が何となく怖いというのも、正常な感覚です。私も父の遺体を前にして、「こうもできたのではないか、あの時こうすれば良かったのでは」とさまざま後悔しました。そして身体がモノへと変わってゆく様子も、言語化はできませんが観察し続けました。
 繰り返しになりますが、物事はすべて現場で、その時に起きているリアルなものです。その場に自分がいて、その時精一杯であったなら、一つの体験としてピリオドを打てるような気がしています。
 スマホは何年か経てば劣化し機能が足せなくなりますが、人間はいつまででも成長できる。そのありがたさも、いのちの一つの側面だと思います。
 お名前も何も存じませんが、私もその患者さんのご冥福をお祈りさせていただきます。

2024年3月27日 0:30
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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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「供養の仕方」問答一覧

先祖供養について

お世話になっております。 種々の僧侶様が、先祖供養の重要性を説いていらっしゃいます。 「布施」の概念だったり、施餓鬼における「回向」の概念だったり、先祖による「守護」の概念だったり、「滅罪生善」の概念だったり…。 素晴らしいと思います。 祈願が叶わないときには、まずは回向をと言われる方もいらっしゃいます。 それほどまでに供養・回向というものは仏教にとって重要な概念かと思います。 私自身もお寺に供養をお願いしたり、施餓鬼を申し込んだりしております。 ですがその際、少し疑問が生じるのです。 ①「●●家先祖代々の霊位」だけで仏さまに通じるのか?同姓同名がたくさんいるなかで、どこの「●●家」なのか特定する必要はないのか?というものです。 ここには、一応「自身の思いがあれば特定はそれでよい。仏さまはわかってくれる。」と解釈していますが、それでよいのでしょうか。 ②もう1点、上記①がそれでよいとすると、専ら供養の本質は「供養したい」という施主の主観によるものになると思いますが、そうすると、世間を騒がせている霊感商法まがいの「壺を買って先祖供養」などのものも、施主が「供養したい」という思いから出ているため、実際に功徳は生じ、回向されるものなのでしょうか? (もちろん、この結論とは別に、社会悪として霊感商法は駆逐されるべきですが。) 法外な値段をとるかどうか、供養の動機付けが恐怖心に漬け込むものなのかどうかは別として、霊感商法もお寺での供養も「施主の思いをかたちにする」という意味では変わりはないのではないかとも考えてしまいます。 これに関しては、お寺では「如法」という確立した方法論があるという結論になるのでしょうか。 決して先祖供養を否定するつもりはないのですが、どうもそのところが腑に落ちません。

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どう供養するのが良いのか教えてください

岡山県に住む50代女です。男の子3人の母です。 子どもたちは皆独立、現在は夫と2人暮らしです。 わたしの母の実家(広島)のおじ(母の兄)夫婦のところに子どもがなく、祖父母が亡くなった後、夫とわたしとで、養子に入りました。 兄おじ夫婦と棟続きに住んでいる弟おじ夫婦のところにも子どもがなかったからです。 9年前に弟おじが、7年前に兄おじが亡くなり、残ったおば2人はあまり折り合いがよくありませんで、両家の間には長い歴史の中いろいろなことがありました。 3週間ほど前に養母である兄おじの奥さんである姉おばが、自宅階段の手すりで腰紐を使い首をつり自死しました。発見した妹おばはいまだにその場面がフラッシュバックして眠れないと言いますし、わたしも姉おばの支えになれなかったことが残念で気持ちの整理ができません。 養母である姉おばは3月に転倒し左肩を骨折・手術し、その後肺水腫、さらに心臓にペースメーカーを入れるなど次々と不調が続き、薬の副作用などで先行きが不安になったと思われます。骨折までは1日に一万歩歩くような元気なおばで有名でしたから、どんどん体が衰えていく自分のギャップは苦しかったことと思います。 養子とはいえ隣の県に住んでいたので、おばもわたしが病院に付き添いで広島まで行ったりすることを申し訳ながっており、そばにいる弟おじの奥さん(妹おば)にも、弟おじが膵臓がんで闘病中などでも手を貸すことがなかったからか、助けを求めることはほぼありませんでした。 だから、わたしたちに助けを求めることなく何の遺書もなく、自ら命を絶ったのでしょうか。 やるせない気持ちでいっぱいです。 お尋ねは ・亡くなった時に来ていたパジャマなど(警察から返してもらった)をわたしも、そして妹おばにも見せたくなくて、ゴミで捨ててしまったことがとても気になっています。どうすればよかったのでしょうか。 ・自死した階段に何かすることはありますか。 ・遺品はどう処分したらいいのでしょうか。 ・警察から返された結婚指輪などお骨と一緒にお墓に入れてあげたらよいでしょうか。 姉おばがちゃんと成仏できるように、わたしができる限りのことはしたいと,四十九日までは七日毎の法要を営むことにしておりますが、他にちゃんとしてあげられることがありましたら教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

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ご供養の仕方について。

ご供養の仕方について質問です。 私はとある新興宗教に以前入っておりました。 今は経済的に厳しいことや、菩提寺のお坊さんの助言もあり、脱退しましたが、過去帳というものを作ったので日めくりにして、毎日般若心経を読んで、お線香をあげています。今年は月命日という習慣があるんだと知り、月命日にはお墓参りをしようと目標をたてたのですが、母が倒れたショックと、家を売却した環境の変化に耐えきれず入院してしまい、お彼岸にも行けなかったので、先月やっと退院してお墓参りできました。以前はお墓が歩いていける距離でしたが自転車で2時間以上かかるので休みにしか行けなくなってしまったので彼岸とお盆と新年には行こうと思いますが、命日や月命日は行けたら行くので良いんでしょうか。それとはまた別なんですが、うちの仏壇は造花が飾られていてまえから気になってはいたのですが、やっぱり生花のほうが良いのではないかと。言っても、生花はお金がかかるからダメだと親がいうので。 仏教を通して、座禅や写経や読経やお地蔵様のお掃除など作務を行ってきましたが、遠くなってしまっては。よく分からない文章になってしまいましたが、宗教嫌いな人は沢山いるけど、私は仏教が大好きです。仏様が墓参りしろと言ったんじゃないことは知ってますが、お墓参りというのはしたほうが良いと私は思ってますが、宗教はいけないことなんでしょうか。

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位牌も遺影もない祖父母の供養

お忙しいところ、失礼いたします。 祖父母の供養方法について心にモヤがあり、相談をさせてください。 当方、結婚を機に実家とは離れた県で暮らしております。 実家で一人暮らしをしている父は片付けができず、家は現在、ゴミ屋敷のようになっています。 恥ずかしながら、祖父母の位牌があるお仏壇も埃を被っており、帰省の際には私が掃除をいたしますが、日頃からお茶やお水、ごはんやお線香などがあげられているわけではありません。 また、私が今パートナーと暮らしているのは賃貸で、お部屋には神棚もお仏壇もございません。 祖父母、特に祖母はお茶がとても好きなひとでしたため、せめてお茶だけでも、と思い、 毎朝窓辺に淹れたてのお茶をお供えし、手を合わせております。 ただ、心の中には 「祖父母が案じるとすればおそらく父のことであるし、 実家の方のお仏壇を綺麗にして、そこに毎日お供えをしなくては意味がないのではないか」 という思いがございます。 頻繁に実家に帰ることも難しいのですが、やはり縁もゆかりもないような場所で、 位牌も遺影も置いていない窓辺に何かをお供えし手を合わせる、という行為だけでは、 故人には届かないものでしょうか? 遠方に暮らしている時の、日々の供養の方法について、何かよりよい方法がございましたら、お教えいただきたく存じます。 なにとぞよろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ