自分の生き方に自信が持てない
自分の生き方に自信が持てなくなってきました。
僕は、どんなときでもみんなで楽しく過ごしたい、笑顔が一番だと思って生きてきました。
みんなに笑ってほしくて、冗談を言ったり、同級生等には積極的に話しかけて、誰とでも分け隔てなく接してきました。
その場では笑ってくれたり、世間話をしたりしますが、僕からみんなの方へ行くことはあっても、みんなから僕の方へ来てくれることはなく、時々寂しさを感じていました。
また、僕は3月末に大学を卒業します。
大学では、映画制作を学び、4年間ひたすらに映画を撮ってきました。
大学は家から遠く、電車で片道2時間半かかります。
学費を出してもらっている手前、両親に一人暮らしをしたいとも言えず、自分が早起きをすればいいと4年間通ってきました。
映画制作はお金もかかるし、辛いこともたくさんありましたが、いい映画を作ろうと自分なりに頑張りました。
好きなアニメやゲームの仕事がしたいと思い、空いた時間に就職活動もしてきましたが、内定は出ず、未だにどこも雇ってくれるところがないのが現状です。
同級生たちはみな、希望する会社や業種への就職を決めていますが、僕には進むべき次のステージもなく、親友と呼べるような友人もいません。
みんなと笑顔で過ごしたい、いい映画を作りたいと自分なりに努力してきたつもりですが、なかなか報われないですね。
自分の信じた道は間違っていないと思いたいのですが、この先も何も変わらないのではと思うと、自信が持てません。
大学まで通わせてもらって不自由なく過ごしてこれて両親にはとても感謝していますし、贅沢な悩みだということも分かってはいます。
それでも、自分自身の気持ちのことなので。
まとまりのない、読みにくい文章で申し訳ないですが、厳しいお言葉でも何でもアドバイスよようなものがあれば、いただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
努力しない努力をしてください。
タップ様(省略)こんにちは。拝見させていただきました
一言で言いますと「努力すれば報われるはずと思い」人一倍「頑張って頑張ってきたのだけど報われない」ということでしょうか。
どんな時でも楽しくしたい。笑顔が一番。確かにそうです。でもそう「すべき」ものではありません。無理してやってきた部分があったのではないでしょうか。本当はそういう気分ではないけども「それが正しいから」我慢して努力した。本当は自由にしたかったけど「学費をだしてもらっている人間は贅沢を言うべきでない」から我慢して努力した。
本当はそう思っていないのに我慢した。その結果努力する「見返り」を求めるようになった。つまり頭の中の「正しさ(こうすべきある)」のために本当は嫌だなぁと思う気持ちに蓋をして、見ないようにするために「努力」をしてきた。その結果疲れてしまった。
「いつも笑顔ではいたくなかった」「認めて欲しかった」「自由にしたかった」「一人暮らしをしたかった」「好きなようにしたかった」と声に出してみてください。自分の本心を口にだしてみることです。それが「心の内側に目を向ける」ということです。
「努力=楽しくないこと」ではないのです「努力=苦しいこと」ではないのです。「努力=楽しいこと」だってあるのです。頭の中のパターンはどう考えているでしょうか。
努力するなとは言いません。努力する方向を変えてみていただけたらと思います。
1自分が今すぐ楽だなぁと思える時間を増やすために努力する」
2苦しいことではなく、自分が好きと思えることを選択する努力をする
3やりたかったことをやってみる努力をする
努力に「見返り」を求めるようになる状態は努力の方向性を見失っている証拠です。
「不機嫌でいい」「失敗していい」「両親に迷惑かけていい」「感謝しなくていい」「贅沢していい」と声に出してみる。胸がぞわぞわするかもしれませんね。それが自分で設定してしまったルールです。
まずは映画をYouTubeなどにあげましょう。何もアニメやゲームの会社にいなければそういう仕事が出来ないわけじゃないのです。方法はいくらでもあると思います。アニメやゲームについてブログに書きましょう。「今できることをする」それがあなたの強みになると思います。応援しております。