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かれこれ8年ほど前

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有り難し有り難し 14

初めまして現在32歳の男です
私は、若い頃に若気の至りと言うのでしょうか8年程前の20代半ば位の頃です。
インターネットの動画サイトにて、もろ顔出しで今では差別用語として使用が禁止されてる言葉を流してしまいました。
当時は大変若く、言葉の意味も全く分かっておらず本当に無知な自分でした・・・。
当時の20代半ばで知りえない言葉 意味が分からない言葉だと思います
では何故その言葉を言ってしまったのかと言いますと当時私が働いていた仕事場は当時の私の年齢で20 30年上の方ばかりで私が聞きなれない初めて聞くような言葉でお互い会話しており私は全く意味を分からず変に記憶してしまいそれを言ってしまったのです。
今では言ったらダメとゆう認識があり、大変反省しております。
反省はしておりますが、これからの人生私はどのように心がけ人生を生きていけばいいのか少し迷っています。
若気の至りとは言え、あんな言葉を発してしまいこれからの人生真っ黒です・・・。
文章が分かり辛く恐縮ですが、アドバイス 助言お願い致します。

ここでの内容はここだけの話で他に転載等しない様にもよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その後が問われる

しらず、差別発言をしてしまう人は多くいるものです。
一度失敗をすればそこで必ず学びます。
あなたはそこでおおいに恥じたはずです。
今後そういういことを慎むべきであると感じたはずです。
しらずに使用してしまった差別用語よりも、格差、優劣を認めた、相手を貶める上から目線な的発言が出てくるいじめ意識の方が問題と言えます。
動画は削除して、削除できなければ、動画内に差別的な表現が含まれていますが、それは上記の理由から知らずに使ってしまっていた事、それによって誰かに不快な思いをさせてしまったことのお詫び文を載せておくべきでしょう。大切なのは、今後です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人としての厚み

失敗は人を大きく成長させる栄養です。
子があれば失敗を経験させてあげてください。そこからたくさんの事を学ばせて人間としての「厚み」を与えるのです。
あなた自身も当時から比べ厚みのある人間へと成長しているからこそ、若い時のことを反省しこれからの生き方を考えるようになったのです。
大変結構なことだと思います。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

お返事有難う御座いました。
私が過去にそうゆう事をしてしまった事は紛れも無い事実ですし、もう本当に10年近く昔の話で悔やんでも仕方がないと思います。
色々と気持ち 精神にも揺れ動きはありますが、過去の事は過去の事と正直捉え、前向きに生きて行きたいと思います。
とても温かなご返答本当に有難う御座いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ