心から大切な人を亡くしました
都合、浄土真宗の皆様にお願いできましたら。
先日とても仲良くしていた彼女がある日突然身体の不全で亡くなってしまいました。いつも2人でいたので、もうこの世の現実に会えないんだという悲しみが深く襲ってきて、心が張り裂けそうです。こんな事があっていいのかという怒りや虚無感も一杯です。私にとってその存在は何ものにも変えられない、すべてを捧げることの出来る、そんなすごく大切な彼女でした。現実にもう一度会いたい、話したい、触りたい、、。
現世の役割を終え仏様になったのか。
それにしても辛すぎます。
どうしたら、どう考えれば彼女の供養になりますか?また同様に自分の悲しみや虚無感を取り除けますか?
心から大切な人が居なくなり、辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべき❞
浄土真宗の僧侶に聞きたいとのこと・・・。
小生がご相談に乗れるかどうか分かりませんが・・・。
〈仲良くしていた彼女がある日突然身体の不全で亡くなった〉とのこと、お悔やみ申し上げます。あなたのお辛い気持ちが痛いほど伝わってきました。「神も仏もあるものか!」の御心境かと・・・。
さはさりながら、仏教では「生老病死」といって、どうにもならない《苦しみ》が起こると説きます。薄情なようですが《どうにもならないならない事はどうにもならない》のです。また《起こったことをいくら悔やんでも、元(過去)には戻れない》とも説いています。
今はただ、彼女との「思い出」を胸に、強く歩んで下さい。キット彼女もそれを望んでいるはずです。
❝・・・念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと❞というのは、、あなたもご存知かもしれませんが、『歎異抄(たんにしょう)』第4条の最後の言葉です。今はただお念仏を称えて下さい。キット彼女との「素晴らしい思い出」が心に浮かんでくるはずです。それしかありません。
《人間だけが2度死ぬ》とも言われます。1度目は文字どうりこの世とお別れした時、2度目は亡くなった人のことを覚えている人がいなくなった時、ということです。つまり、あなたが生きている限り、彼女はあなたの心の中でズット生き続けているのです。そして、あなたが亡くなった時、再び極楽浄土で会うことができるのです。親鸞聖人も❝浄土にて必ず必ず待ちまいらせそうろうべし❞とおっしゃっておられます。
彼女はいつもあなたを見守ってくれていますよ・・・。お辛いでしょうが、耐え忍んで、お念仏と共に強く生き抜いて下さい。合掌 南旡阿弥陀仏
〈この世と浄土はどう繋がり、どう違うのでしょうか?〉
とのことですが、いくら探しても具体的な「浄土」はありません。クリスチャンが「天国」に往った、というのと同じでしょう。
つまり、抽象的な表現でしかないのです。要は《あなたの心の中にある》としか言えません・・・。だからこそ「あなたと繋がって」いるのです。ちなみに、『仏説阿弥陀経』には、亡くなって仏様になった人は「毎朝帰ってきて、あなたを供養して(=プレゼントを与えて)、また極楽浄土に還る」と説かれています。
さて、何を供養されているのでしょう・・・?。
小生は「いのち」だと考えています。あなたはどう思いますか?。
質問者からのお礼
この度はお彼岸の多忙の中、この様な丁寧な回答を頂戴しまして、心より御礼を申し上げます。
私は別なのですが、彼女が真宗ですので、彼女が今どこにいるのかとか同じ仏教でも違いがあり亡くなると即、仏様になるとかを知っていっているところです。
今はまだ悲しくて涙がとまりません。夜が怖いです。でもまた浄土で逢えると言って頂き嬉しいです。質問ですが、真宗ではこの世と浄土はどう繋がり、どう違うのでしょうか?彼女は何のためにこの世に生を受け、どうしてこんな早くに召されたのでしょうか。
亡くなってしまったあと、本人の本来の評判が出てくるものですが、本当に素晴らしい方で、やはり私の自慢の彼女でした。最後に私みたいなものを選んで仲良くしてくれたこと、感謝したいと思います。
御返事頂きましてありがとうございます。
毎朝起きた時今日も生きてた、というプレゼントなんですね。でも中々整理がつかず、さみしくて、五感で感じたくて、心で納得するに至ってません。現世で会いたくて。過去には戻れないんですが。
彼女は仏様として現世にあらわれ、御役目をおえて浄土に行ってしまったんでしょうか?