お坊さんに子どもの名前をつけてもらうには
キラキラネームや流行などで通常では読めない名前の子どもが増えていると聞きます。また、名付けの由来もなく、ノリや単純に目立つとの理由のみで名前をつける後先も子どものことも考えられない親も増えていると聞きます。
昔の人はお坊さんに名前をつけてもらったなどという話を聞いたことがあります。こんな時代だからこそ是非お坊さんに名前をつけていただきたいという親もたくさんいると思います。
今も依頼すればできるものなのでしょうか? お寺にアポイントなしで訪問し、突然、子どもに名前をつけてくださいと依頼するにはハードルが高すぎる気がするのですが、本当につけてほしい場合はどうすればよいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ほとけのこどもに名付け お坊さん冥利に尽きます
初めまして。渡邉元浄と申します。
私がどなたかに依頼されたらまず、とても喜びます。お坊さん冥利に尽きます。もちろんどちらのお寺でもアポなしでも歓迎してほしいことですが、法律では出生後2週間以内にということもありますし、誕生前は当然ですが、信頼でき、一生懸命一緒に名前を考えてくれるお坊さんと、とにかく早く面会することをおすすめします。
私は幼稚園と保育園の園長を預かって今年で10年になるのですが、お寺の本堂で行う入園式や卒園式で1000人近くの子供たちを迎え、送ってまいりました。式で子どもたちの名を大きな声で呼ぶと、「はい!」と必ず大きな声で返ってきます。呼んだ名前がどんなキラキラネームだとしても、「はい!」と答えた我が子を見守る保護者さんの両目はどちらもキラキラしています。
全ての名前は「先に生まれていた人間が付けたもの」ですが、いずれの名前も本当は両親の深い願いに包まれて「名の方から浮かんできてくれたたもの」でありたいものです。
しかし、何が何でも人と違う名前や漢字を意識するあまり、奇抜な名前が目立っているのも現代の名づけ事情のようですね。両親の【子に対する深い願い】であるはずが、まだ誰も発見していない名もない星に名をつけるように【今までにない名を付けた、栄えある親になりたい欲】が勝ってしまっているのかもしれません。
さて、お寺の住職さんは基本的に名づけをするのが得意であるかと思います。仏教では名というと法名や戒名というものがありますが、それらは世間的には「亡くなった方の名」として広まっているものの、本来は存命のうちに授かる名前であります。真宗大谷派ではその法名授与式のことを「帰敬式(ききょうしき)」と呼び、住職が檀家さんの法名を名づける(選定する)こともあります。私も今まで14名の方の法名を選定させていただきました。
法名は仏弟子としての名告り(なのり)ですから、「社会生活をする中で御縁のあった方に仏教を伝える人間としての名」です。それを名づけるお寺の住職さんは、その人の願いを汲み取り、字を選び名づけをするのが務めでもあります。
私自身親にならせていただいたばかりですので、他人様のお子様にはまだ名づけをした経験はありませんが、もしそのような御縁がありましたら一生懸命一緒に悩ませていただきその時間を一緒に楽しみたく思います。
お待ちしています
昔と今では夫婦間に生まれる子どもの数が違いますし、生まれた子どもが成人する確率も違います。
ですから以前は、ひとりひとりの子どもの名前を考える時にそれほど熟考しすぎず「一郎・次郎・三郎…」としたり、もう末っ子だろうからと「末吉」としたり、あるいは神主や住職にお願いしたのでしょうね。
今は夫婦間の子どもの数が少ないですからね、奇抜過ぎるように見える名前もありますが、一所懸命に考えた結果なのだと思います。
でも、音にこだわるあまり良くない意味の文字を使ってしまったり、音読み訓読みを組み合わせてしまう妙な名前も見受けられます。
今でももちろん頼めば名前を付けてくれると思います。アポなしでは驚かれるでしょうから、まずは連絡してみてはどうでしょう。また、大切なお子さんの名前ですから、縁が有って知り合った信頼出来る住職が良いでしょうね。
もし私が頼まれたら、ご両親と一緒に考えたいと思います。
お待ちしています (^_^)
気軽にどうぞ
地下室のメロディー様
はじめまして。
問いにご意見を述べさせていただきます。
子どもの名前つけは非常に大切なことであると考えています。
どこか名前を見ますと、特に大人になって
名は体を表すではありませんが、その名前が合っているような感じがします。
周りにいる方で、あのような人になってほしいとか、
逆にあの人になっては困るなど、
どのような子に育ってほしいなど、参考にするといいかもしれません。
浦上様もおしゃっていますように、今でも可能なお寺はあると思います。
ぜひこの方につけていただきたいという方がいるのでしたら、ぜひ問い合わせをしてみたらいかがでしょうか。
もし、当山でよろしければご両親のお名前など参考にふさわしい名前を考えさせていただきます。
お待ちしております。
合掌
できます。そして、わたしの場合・・
地下室のメロディーさん、こんにちは。
質問からだいぶ時間が経っておりますが、回答します。
お会いした方と「真摯に向き合うこと」は大切であると、人間としても、お坊さんとしても、思うことです。
ご質問の名前の依頼についてですが、他の方の回答のとおり、”出来る”はずです。ただ、まずは相談してみるのが宜しいかと存じます。多忙だったり、日がなかったり、条件があるからです。
なんにしても、有難いことだと思います。きっと相談にのってくださるはずです。
さて、名前、実際に名前をつけることについて私がどのように考えているか・・を追記しておきます。
相談には乗ります。しかし、最終的には"自分たちで決めるのが、いい"と思っています。
最大のイレギュラーを考えると、その人のせいに出来るからです。
実際に名前をつけることを考えるとき、
なぜ名前をつけるのか。つけたのか。・・その行為の意味から考えていきます。
なんでこの名前にしたのかな、。何番目の子なのか、親御さんの人生、勢い、もろもろあるでしょう。
その想いを受けての名前だと考えてみます。
"名は体をあらわす"と言ったりしますが、その人の人生は、自分で自分にその名前をしっくりこさせる旅なんだとも考えます。
親が名前をつける訳ですが、つけられた名前を自分で自分に名付けていく作業が生きるということであると思うんです。
だから、あまり意味を付けすぎるというか、限定するのはオススメできないでしょうか。
(例:医者として大成して、お金持ちになって、私たちを楽させてほしいから「**」という名前にした)
いい子に育ってほしい、立派な人間になってほしい、くらいの”使命”とか、”ビジョン”くらいのものでしょうか。
決めすぎとみるか、ぼんやりと見るかは、自然とご夫婦のイメージに沿っていくでしょう。
もちろん、音や字面で決めてもいいでしょう。それから、意味を考えても。
名前を変えることは出来るものですし、いい名前ができるといいかもしれませんが。肝心なことは、新しい命がうまれて、生きていくことは有難いことである、ということです。
安産祈願を受けているお寺
安産祈願を受けているお寺でしたらアポなしでも大丈夫だと思いますよ。ただ、「今この場でつけてくれ」とはさすがに頼めないでしょうから、結果として、事前に約束をすることになるのではないでしょうか。以前、伺った茨城県のお寺では玄関にそこの住職が名付けた赤ちゃんの名前がズラリと貼ってありました。安産祈願をされた方が、そのまま命名を依頼されるそうです。
これまでの回答者様が答えておられるように、拙僧も積極的にお受けしたいと思いますが、そのためには「ぜひ仏弟子として日々の生活を送ってくださいね」、というお土産がつくことをご了承ください~。
キラキラネーム、いろいろご意見あろうかと思いますが、各宗派のお祖師さんの僧名や、歴史上の人物など、今の時代からみるとかなりスレスレのラインじゃないですか(^^;)?
うちの子の名前は大丈夫、私のセンスはズレてない、その過信こそがキラキラなのかもしれません…
大切なのは、赤ちゃんを親の所有物や自己満足の道具にしないで、一人の人格として認めることではないでしょうか。