hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

タイミングが、合わない。

回答数回答 3
有り難し有り難し 8

自分がやる気があって
もっと取り組みたい!
早くやりたい!
というときは
他の人や同じことに取り組む人たちは、
タイミングが悪くてうまく関われなかったり、みんな、やる気なかったり、。
連絡が遅れてきたりします。

しかし、
自分がイライラしたり、何もやりたくないなあと思うとき、
周りや同じことを取り組む人はたちは、
とてもやる気出して一致団結みたいにみんなで盛り上がっていて、
自分も中に入りたくても、気持ちがついていかなくてイライラします。

なぜ
私だけ
タイミングが合わないのでしょうか。

他にも同じ気持ちの人いるんじゃないかと思うけど、

私だけな気がします。

これも、投影なんでしょうか(>_<)


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

孤独 疎外感 を無くす方法

「世の中に交わらぬとにはあらねども 一人あそびぞわれはまされり」  良寛
集団に交わりながらも一人になれるようになることです。
何となく疎外感が生じるでしょう。
それは、本当の一人になれていない。
本当の一人は強い。
どこかしらで、誰かと同じであってほしいという期待が生じているでしょう。
あなたが、いつか白馬の王子サマと結婚したって、その人はその人で別行動、別存在、別人間、別もんなのです。
当然ながらその人たちだってそう。みんな別々。
何となーく仲間意識でつながっているものの、本当は不安だから群れているだけ。あなたの方が強いと思いますよ。
起っている方の事実にだけ向き合うことです。
思いの上で起こったことはあなたの希望や願望や期待や求め。
そっちはインナーワールド。あなたの妄想なのです。
そっちを相手にせず、起っていることに自分の思いをまぜこぜにせずに生きていきましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

顔で笑って

心で泣いて、という言葉がありますが、気持ちつまり内面と、顔つまり外ズラはずらすことができるのです。「それは嫌だ!」と反射的に思うかもしれませんが、そこを上手く使えるようになると、自由が手に入ったりするのです。つまり、「自分の心に支配されない」という。人間どうも統一性というか「やるなら心から楽しんでなくちゃ駄目」みたいな話がありますけれど、時にはそれ、乖離したままでも良いのです。そもそも心が変わってゆく、そのきっかけは行動なのですよ。辛いなぁ、嫌だなぁと思いつつも、勉強を始めてみたら理解できるようになって面白くなる、というのは典型的な例です。
私たちがチームで、つまり複数の人間で何かをするという時は、何かの目標があります、少なくとも。それを感じている、理解している人が「やる意義を見出している→積極的に進めようとする」わけですが、ある瞬間をとってみれば、その態度は様々です。それが全員揃うのを待つのではなく、とにかく始める。現場に出る。そうすることで、物事が成し遂げられたり、そうでなかったりという結果が出る。現場に出てやってみて、「ああ、これは面白かった、意義があった」となるか「これは意味がなかった」とか分かるわけで、気持ちがどうであるか、よりも現場がどうなったか、の方が大切なのです。一人でやることではないのだから。
浄土宗では「別時会」というのがあって、ともかく集まって一緒にやろうよ、という開催の仕方が面白いと思っています。どんな気持ちで来てもオッケー。その構えが、良いのです。
ともあれ、この間の質問よりも、ずっと踏み込んだものになっているなぁと感じます。前進しています。前進というのは、繰り返しになりますが自由に向かっていると感じますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

人の気持ちは分からないものです

基本的に自分の気持ちしか分からないのが人間でしょう。本当にみんなが自分と違う気持ちかどうか、同じかどうかを考えるより、あなた自身がどう感じているのか、どうしたいのかを大切にしたらどうでしょう。人と違ってもいいじゃないですか。タイミングが合わなくて当たり前、人それぞれ生活があるものです。

今はちょうど忘年会シーズン。しかし、師走と言われるように、人によっては忙しくてそれどころではないと、ゆとりを持つことができない人もいるでしょう。しかし、実際その場になってしまえば、みんなその場に徹して和気あいあいと過ごすのではないですか。もし気が乗らない人がいてもそれはそれ、良いも悪いもありません。その場その場をしっかり過ごせることが大切なことではないでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。
人の気持ちはわからないから、
自分のやることをただ向き合うということですね。

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ