相談してきて怒るひと。相談ののり方。
よくある話なのかもしれませんが・・・。
友人から恋愛相談をされ、私はその友人を応援したかったので、上辺ではなく真剣に向き合おうという思いから「私の本音を話すけど良いか」と先に了解を得てから友人とあれこれ話しをしていました。
私は私の思いや考えがあって、それを伝えるけど、最後は自分で自分の道を選択してほしいということも伝えていました。
しかし最終的に「傷ついた」「私と彼の何がわかるの」「あなたは神様なのか」等と言われてしまったので、私はあなたを心から応援していて幸せになってほしいと思っていたが、私の意見はあなたには合わないようだし、私も傷つけたくはないから私以外の方に相談したらどうかと言うと「自分から首を突っ込んでおいて逃げるのか」と言われてしまい・・・。
私は普通の人間だし偉くもない。
でも、彼女の存在自体を批判したこともないし、純粋に応援したかったのです。
私から彼女へ発信される言葉が、嘘であっても上辺であってもいけないと。もしそうならすごく失礼なことだという思いで数か月付き合ってきました。
愚痴を言いたいだけであるならそれはそれで良いと思うんです。
でも、相談とそれは違うと思っていましたが結局は聞いてほしいだけだったのでしょうか。
どうしても私のことが許せないと、さようならとのことでしたが正直呆気にとられています。
悲しいし同時にあの時間はなんだったのかという思いもあります。
お坊さんの皆様、直接相談にのるということが頻繁にあるのだと思いますが、どういった気持ちで接しているのでしょう。
コツというか、心持ちというか…教えていただけますでしょうか。
だれかのことを本気で思い、一緒に考えるってものすごく体力も精神力も必要だと痛感しています。
なんだかすごく疲れてしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたのどこに落ち度があるのか、私にはわかりません
こんにちは。
友達から、ほぼ一方的な形で絶交され・・・
何がおきてこうなったのか、理解しづらいですね。
あなたの質問を何度も読み、私なりに考えました。
私の結論といたしましては、あなたには何の落ち度もありません。
本音で伝える事に了承を得たうえで、相談に乗り・・・
最終的に決定するのは君だから、としっかり伝え・・・
大げさかも知れませんが、その数か月間、あなたは体当たりで、友人と関わられたと私は感じます。
心の体も、疲弊して当然です。
もう充分です。
友人も深く悩んでいたとは思いますが、自分にベクトルを向けるあまり、あなたとの関わりに誤りが起きたのでしょう。
友人は一人になってやると、自分で決めたのです。
私はhasunohaで、回答いたしておりますが・・・・
いくらネットとはいえ、相談者は気軽にピポパと質問をできないだろうと、私は考えております。
ですので私は、言葉の使い方を間違えないよう、慎重に回答しております。
あなたが申される通り、最終的に決めるのはご本人だと私も思います。
ふゆがすきさんは・・・
了解を得て相談に乗り、自分の意見を押し付けず、友人の方に決定権があるんだと伝えてあげた。
その上で、不満をぶつけてくるなら、愚痴だけでも聞いてあげた。
繰り返しますが・・・
その在り方に何の落ち度もありません。
いくら向き合ってもダメな時はある、と自分への教訓とする一方、、、
これに懲りずこれから先、相談を受けた時は、親身になって応じていただければと、私は願います。
あなたにはその力があると、私には感じるからです。
恋愛相談は、テキトウに。
相談したいという反面、同調して欲しい。私の考えを正当化して欲しいという場合もあります。
まして恋愛問題は、相手の欠点や、悪い所を指摘すれば、あなたは絶対に許せない友人になります。恋愛問題は難しいですね。
私も若い頃は、自分の意見や思いを語っていましたが、今思い返すと、穴があったら入りたいという位、傲慢で相手のことなど考えてなかったと反省しています。
ふゆがすきさんも、ある意味いい経験をされたのですから、もう忘れましょう。
そして特に恋愛問題は、テキトウに合わせておけばいいのです。
それは2人の問題ですから。
質問者からのお礼
お礼が遅れ申し訳ありません。
法筵寺
鈴木海祥 様
同調してほしい、そうだったのだと思います。
相手からの「相談にのって」に応えたら「首突っ込んでおいて」と言われてしまい落ち込みました。
そうですね、早く忘れるようにします。
たしかに、良い経験といえばそうですね。
ありがとうございました。
善通寺
海老原 学善 様
何の落ち度もありませんと言っていただけてほっとしました。
「なにがまずかったのか」といろいろ考えていましたが、彼女の本心と言葉が違ったということですね。
はい、今回のことは良い教訓と思うようにします。
そして、やはり他の友人や大切なひとのことに無関心とはいかない(お節介はしないように)し応援したいという気持ちはありますので、また別の機会に同じようなことがあった場合も親身でありたいと思います。
お二方、本当にありがとうございました。
今回のことは人生の経験と考えます。