自信が欲しい。
顔色を伺わずに目上の人や周りの人にラフに喋れる人が羨ましいです。
僕はどうしても「嫌われるかな〜」「ラフに喋れなくて、重苦しいからダメだ」と思ってしまいます。
だから顔色を伺わずにラフに喋れる人が本当に羨ましいです。
多分今までこの性格で数々のチャンスを逃している気がします。
どうすれば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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必要なのは自信ではなく知識とスキル
社会で生きていくためにはコミュニケーションが上手い人に憧れることは大切なことです。
だからこそ「ラフに喋れる人が羨ましい」と漠然と眺めずにもっと細かく観察してみましょう。ああいう人たちって気楽に喋っているようで実は単語一つ一つの選び方から語順、1秒未満のイントネーションの付け方まで本当によく計算しながら使いこなしているものです。
『印象管理』と言うんですけどね、性格の問題ではありません。スキルの問題です。だから誰でも学べば出来ます。
今、私は
>だからこそ「ラフに喋れる人が羨ましい」
を
>でも「ラフに喋れる人が羨ましい」
から書き直しました。「でも」は前の言葉を否定して代わりを提示するものなので、コミュニケーションが上手い人を見習いましょうというメッセージの鮮度を落としてしまうかな?それより順接の「だからこそ」で強化した方が心理的に伝わりやすいかな?と思ったからです。
読み流す上では0.数秒の瞬間の違いしかありません。
でも、その一瞬に着目しながら試行錯誤するかどうかで経験値の量に差が出てきます。
まぁ、観察するよりも本を読む方が先かな。全く分からないまま観察しても分からんもんは分からんですし。本屋さんでコミュケーションのハウツー本の1冊も買って読んでみて、それから色んな人を観察しましょう。
自分に自信があるから明るく喋れるのではありません。明るく振舞っているのは自分に自信が無く、嫌われたくない気持ちの現れな人も大勢います。もっともっと深く研究してみましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。またご返信が遅れすみません。
ラフに喋れる人は、そういう性格だと思っていたのですが、確かに計算してコミュニュケーションをしている人もいるよなぁ〜と思いました。自分も本などでコミュニュケーションスキルを身につけようと思います。ありがとうございました。