消えて欲しいと願ってしまうこと
宜しくお願い致します。
一度こちらで近所トラブルの事でご相談させて頂きました。
その後、やはり近所の老人は私がゴミ捨てで老人宅の前を通る時や、出掛ける時窓からジーっと見てきたり、何かかにか存在を見せつける?知らせる?ような事をしてきます。
私はそのたびに『気にしない』『気にしたら負け』『楽しく楽しく』と自分に言い聞かせています。
ですが、ふと気づくと『あ~あ、早く死んでくれないかな、消えてくれないかな』と思ってしまっている自分が居ます。
リフレッシュしようと出掛けて楽しんでいても、ふと『今こんなに楽しいのに。あいつが居なかったらもっと心から楽しめるのにな。』と思い出してしまいます。
こんな状態が長いこと続いており気持ち的にも辛いなと思ってしまいます。
いくら忘れたくても目の前に住んでいるので、出来ません。
大切な子ども達との今だけの遊びや、関わり、成長をしっかり噛み締めたいのに、老人の地味な嫌がらせにより、怒りや『消えてくれ』という考えが頭の中を占領してしまいます。
こんな事をずっと考えている自分ではなく、
毎日素直に楽しめる様になりたいです。
それが1番の嫌がらせへの反撃?だとも思います。
どうしたら心が強くなれますか?
どうぞ宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その人を気にする今の自分のその心こそがその苦しみの根源です
あー、あいつ死なないかなー。(笑)
まぁ、そういう人、いるでしょうね。
世の中、必ずしも善人ばっかりじゃありません。
親も選べませんし、隣人も選べません。
ここでの回答僧も選べません。
人間が人のことで苦しむというのは、相手にももちろん多かれ少なかれ日はあるでしょうが、苦しみというのはあなたの心の中が苦しいということでしょう。
心がお部屋だとします。
そのお部屋の中を閉めきって、そこに居ながら防虫剤を焚いているようなものです。
虫を追っ払いたいと思っても、心のお部屋の中でバル〇ンたいたらその防虫剤の殺虫効果で自分自身も苦しむのです。
怒り、ヘイト、憎しみ、うらみ、つらみ、呪い…、
人を呪わば墓穴二つ。
相手を意識するだけ自爆します。
その思いはダブルじばくです。
自縛と自爆。
ダメージは大きいです。
自分の心はいたずらに傷つけないことです。
今、その人のこと忘れていた時は「気にもなっていなかった」はずです。
この「気になっていなかった状態」に答えがあります。
気にしない、気にしないでは無視なのです。
無視というのは意識してますから、本当は心に残っているのです。
心の中の部屋・フィールド・土俵に相手を取り込まないことです。
忘れている時に平気なわけですから、今起こっていないことを今徒に考えて心をいたずらに苦しませる必要はありません。
相手も違う観点で悩んでいます
前回の相談も拝読いたしました。
率直に申し上げて、困った方です。
口論がきっかけで、とありましたが、しおんさん一家だからそうなったのではないと、私は感じます。
お向かいの方は、もともと人と協力して生活するのが苦手なのです。
僧侶としての回答ではありませんが・・・
車を傷つけられた、境界に問題があるなどのトラブルがあった場合、こまめに録画や写真に残すなどの対策をおすすめします。
このような人が向かいにいれば、頭から離れずもやもやしてしまうのは無理もない事でしょう。
じゃあ、どうすれば強くなれるのでしょうか。
気にしないのが一番ですが、気になるからあなたは悩んでおられます。
戦争を例えにします。
どちら側も、こちらの言いぶんが正しいと言って戦争が始まります。
要するにお互い、相手に憤りを感じた結果、戦争になるのです。
ニュースを見ていれば「あちら側」が悪だと感じてしまいますが、人間が決めた善と悪の境界など曖昧です。
例えが過激すぎましたが・・・
しおんさんは、お向かいにストレスを感じています。
同様に相手にもストレスがあり、もやもやしているのだと私は思うのです。
あなたたちからすれば、まったくいわれのない事ですが・・・
しかも滅茶苦茶な表現で。
でもそれも、心身に負担がかかっている。
お宅の勝手でしょうと思われるでしょうが。
ここは、大きな意味でのお互い様と、歩み寄られてはいかがでしょうか?
心の中だけで結構ですので。
普段から気にして気にしない生活を心がけて下さい。
ものが壊されるなど最悪の場合、ご自身で守る以外方法はないのですから。
心に余裕を持てば、楽しいひと時を邪魔されることはなくなります。
人生には❝怨憎会苦(おんぞうえく)❞があるのです。
近所のヤッカイ者のお爺さん・・・・・・辛いですね~。難儀なことです・・・。〈どうしたら心が強くなれますか?〉・・・そう簡単にはいきません!。冷たい様ですが・・・。
結論的には「諦める」しかありません・・・。「何の解決にもならない!」・・・お怒りは最もですが、怒らないで下さい。
「諦める」とは元々「明らめる(=本当の事を見きわめる)」という、仏教では大切な言葉です。
つまり、なぜ、こんな嫌な思い・辛い思いをしなければならないのか・・・という本質を明らかにすることです。
お釈迦様は2500年前「人生には八つの苦しみがある」とおっしゃっています。その中の一つに❝怨憎会苦❞といって、「顔も見たくない・口もききたくない人とも会わなければいけない苦しみ」が誰にでもある、とおっしゃるのです。今のあなたはその苦しみの真っただ中ある、ということです。
それが「明らか=諦か」になれば、ガマン・辛抱するしかしょうがないのです。と同時に、それを耐え忍んで、一つ一つ前に進んでいけば、必ず「仕合わせになれる」と説いています。❝忍辱行(にんにくぎょう)❞といい、立派な人間になるための修行です。
修行ですから、苦しいのは当然です。顔を合わせたり、イヤミを言われた時「忍辱行・忍辱行」と心の中でつぶやいて下さい。そして、格好だけでも「笑顔」でいて下さい。とりあえず、三か月・・・。
三ヶ月後、また「質問」して下さい・・・(笑)。合掌
質問者からのお礼
お忙しい中、迅速なお返事をありがとうございます。本当に辛いなと思っていてご相談させて頂いたので、こんなに早く聞いていただけて嬉しかったです。
海老原 学善様
お忙しい中、前の質問まで読んで下さりありがとうございます!
温かいお言葉をありがとうございます。
ひとつ一つがとても説得力があり、なるほどなと思う所だらけでした。『相手を悪にしたいから気にしてしまう』本当にそうでした。
心の中で『大きい意味でお互い様』と思い、心に余裕を持ちたいと思います。
心の中でと言ってくださったことが何だか救われました。
相談する人達には、『挨拶だけでもしなさい』『もう気にするな』とよく言われていたのですが、それが1番難しい様な相手なのに、、とどうしても受け入れる事が出来なかったからです。
私の心まで知って頂いている様な温かくて、的確なお言葉をありがとうございました!
大塚 芳明様
お返事ありがとうございます。
怨憎会苦、初めて詳しく知りました!
今は苦しいですが、それも人として成長出来る修行だと思い、笑顔で忍辱行忍辱行!と頑張ります。
頑張る期間を決めて頂けると、頑張れる性格なので心強いです。
まずはあと3ヶ月頑張ります。その後何か変化があっても無くても、こちらでご連絡させて下さい。ありがとうございました!
丹下覚元様
お返事ありがとうございます。
『忘れているときは気になっていない』
たしかにそうですよね。
無理矢理思い出すことは無いのですよね。
多分、今楽しいけど、またあの家に帰ったら外に居るかも、観てくるかも、何かされるかもしれない、、
という不安があるのだと思います。
でも教えて頂いたように、起こって居ないことを考えて苦しまないようにします!
同じ土俵にいないで楽しく過ごせる様に頑張ります!
ありがとうございました。