お寺と注連縄の関係について
先日仕事で千葉県に行き、千葉市中央区にある千葉寺へ寄ってみました。
すると、門をくぐるところの柱に注連縄が結ばれていました。形は一般的な前垂れの注連縄だと思います。(「千葉寺」で検索するとすぐその門の画像が出て来るので分かりやすいです。)
注連縄は神社のイメージが強く、調べたところ神仏習合の名残だと推測したのですが、正しいのでしょうか?
神社における注連縄の歴史は、天照大神が二度と天岩戸に隠れないように注連縄で戸を塞いだことが始まりのようですが、
お寺における注連縄の歴史は何か別にあるのでしょうか?それとも、神仏習合による影響という認識で良かったのでしょうか?
無知なためうまく質問が伝わっているか不安ですが、ご回答いただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ネットで写真確認しました。本当ですね。
地図を見るとこのお寺さんの近くに「瀧蔵神社」という神社があり、ネット上で「千葉寺境内」と書かれている情報もありました。
明治時代以前は、お寺と神社が一緒になっていました。今も神社と隣接しているお寺さんがあるのはその名残です。
もしかしたら、千葉寺さんと瀧蔵神社さんはもともと一緒になっていて、今も門は共用なのかもしれませんね。おっしゃる通り神仏習合による影響という事だと思います。
いろいろ考えたり調べたりするとロマンがあって良いですね。
日本仏教の多くは、神仏習合の信仰です。
パンナコッタさん、こんにちは。
神仏習合の影響が出よいのですが、正確にいうと「名残り」ではなく、今も脈々と各宗派仏教の信仰の中で、その宗派教義に解釈された神道信仰が生きているのです。
神仏習合の形態は三つぐらいかな。
一つは、お寺が建てられた場所に、もともとのその土地で信仰されていた神様、地主神様を境内に祀るケース。
二つは、日本のローカルの神々を仏教の神々の一つとして祀るケース。
三つは、本地垂迹といって、仏教の神々が日本の神々を化身として現われたとして祀るケース。・・・です。
祀り方には、仏教の祭り方と共に神道の祀り方も取り入れられています。特に神道の儀式として使われていた、注連縄はもともと神道の結界の意味でしたが、日本仏教でも聖域を表す標識として使われるようになりました。またご神体としての鏡は、本尊のいるシンボルとして使われています。
仏教が入って、仏教を祀るかどうか、蘇我氏聖徳太子が物部に勝利して以来、明治の神仏分離令までの約1300年間は仏教と神道を包含しながら発展しました。日本人の多くは、仏教と神道を分けずに信仰していたのです。合掌
質問者からのお礼
まさかこんなに早くご返事を頂けると思っておらず、御礼が遅くなってしまい失礼致しました。
■鳳林寺 光禪様
わざわざ画像を検索して頂きありがとうございます。
瀧蔵神社があったんですね、宴会をやっていたりして境内をしっかり見て回れなかったので
気がつかなかったですが、共用だとしたらさらに面白いです!
千葉寺だけでなく、他も調べながら自分の考えも持てるようになりたいと思いました。
ご回答頂きありがとうございました!
■金剛座寺 染川智勇様
世界では同じ宗教内でも解釈の違いから争いが起こってしまう中、
「名残りではなく、各宗派なりに解釈された神道信仰が生きている」というお言葉に
日本の良さを改めて感じました。
神仏習合の形態もとても勉強になりました。ご回答頂きありがとうございました!