母親の責任感に押し潰されそうです
私は、いつも頭の中に家族がいつ死んでもおかしくないと考えており、死ぬかもしれない死ぬかもしれないと強迫観念が回っています。特に次男の食事を作る時、洗剤の洗い残しで毒になり、次男を死なせてしまうのではないか?火に近づけたセーターを次男の部屋にしまう時、セーターが後から燃え出して、次男の部屋が火事になってしまうのではないか?と、本当にばかばかしいことばかり心配してしまいます。長男にはそれほどないのですが、死のことを心配しているのは同じです。どうしたら、この苦しみから逃れることができるのでしょうか?よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生命力
年寄りを早く死なせたければ優しくしろ
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これは厳しく接する方が生命力はみなぎることを表した言葉です。
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あなたの愛情はもしかすると家族愛ではなく自己愛かも知れません。
家族を失うことで我が心が傷付くことを恐れている。
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獅子は我が子を谷底へ突き落とすと申します。あなたにもこの愛情がわかるはず。
子の成長を願うがゆえの厳しさが。
谷底へ突き落とし我が子が死ぬかもしれないという親としての恐怖より、子の成長を優先している。そこには我が子の強い生命力への確信があるのです。
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あなたのご家族は強い生命力をお持ちです。旦那様が生還したことが何よりの証拠。その子供ですよ、弱いはずがない。
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子は強く育てましょう。
おきもしてない妄想に振り回されないで
すべてそれは、頭の中で起きている、というかあなた自身がかってに考えをおこしそれにより自分の首を絞めているだけです。
食事の前に「お腹がいっぱいになったらどうしよう」と心配するあまり食事ができないなんてことはないでしょう。
そんなことをやっていたら、生活できません。歩いていたら転ぶかもしれない。とか、地震が起きるかもしれないなんてことばかり考えていても何にもなりません。
目の前に事実として起きたらそれに黙って対応するだけです。何もしなくても部屋のほこりは積もってきます。ほこりが積もれば、黙って掃除するのみ。掃除したそばから、ほこりが積もることにおびえることもないでしょう。
汚れたら掃除する。「何でこうなったの。」とか「またよごして。」とかそんなものは付け加えなくていいのです。
そうした付け足した事実と間違えてしそうな「妄想」に騙されないように事実のみを大切にしてください。「もし・・・」は無意味な妄想です。「もし・・・」は卒業しましょう。
死から逃れるのが生きること
野性動物なら、天敵の恐怖と空腹から逃れることが生活のほとんどです。
生き物にとって、それが普通なのではないでしょうか。
恐いのは苦痛ですが、生きるとは、そういう恐怖とのおつきあいなのでは。