hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

孤独や不安とは

回答数回答 1
有り難し有り難し 28

よろしくお願いします。
 私はアルペルガーと診断され、昔から生きづらさを感じ、特に人とのコミュニケーションが出来ません。
しかし、まれにコミュニケーションをとれる人もいます。
 人といると疲れるので一人の時間を過ごすのが主です。
黙って一人でいると、たまに孤独を感じたり、とりのこされたような不安を感じることがあります。
 こちらにいらっしゃる、お坊さんでも孤独や不安を感じたりはありますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あります

私は孤独や不安を感じることはありますよ。

例えば、妻と激しくケンカして分かり合えなさを感じた時や、知り合いのいない研修会にさんかして期間中に上手く馴染めない時、過疎地域にあるお寺のこの先を考え時…こうした時に孤独や不安というものを感じます。

孤独や不安というものは人間が人間として生きる上で必要だから感じている感覚でもあります。たとえば暗闇や高所において不安を感じるという感覚は生存にとって必要なものであるでしょう?孤独感も群れ手で生活するためには大事な感覚かもしれません。

もっともあなたが今問題にしているのはこうした生物としての生存にまつわる孤独や不安というよりも、人間が社会生活を送る上での孤独や不安であると思いますが、その本質が異なるわけではないでしょう。

お坊さんだからといって人間として必要なこうした感覚がなくなるというわけではありません。

では、仏教を聞き、その教えに私の在り方を学ぶとどうなるかというと、孤独や不安がなくなるのではなく、孤独や不安を否定的な問題としなくなる、あるいは孤独や不安上手く付き合えるようになるということかもしれません。

私の孤独や不安は誰かのせいだと責めるのでもなく
私の孤独や不安は私が悪いのだと卑下するのでもなく
必要だから感じている感覚に孤独や不安という名前をつけて取り上げ、必要以上に問題として増幅するのでもなく

孤独な時は孤独だなあと、不安な時は不安だなあと味わっていきます。

私がその孤独や不安を受け入れることが出来なくとも、その私を受け入れてくれる教えや存在があるというのが宗教の救いであるでしょう。

人といると疲れる。一人だと寂しい。

あなたのおっしゃる通りだと思います。得手不得手や程度の差はあれ、それは共通して感じる感覚でしょう。

それでも一番底の願いとしては、誰かや何かに出会いたい、つながりたいのだなあと私は思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

とてもわかりやすい回答ありがとうございます、孤独だなあと誰かと会う、でも、また、わかれれば孤独になる。
孤独とうまくつきあえないと、よりまた孤独になるのでしょうか。
 ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ