挨拶することはいけないことなのでしょうか?
どこかのスーパーで、警備員の方がお客さんに挨拶をするのが不快であるからやめてほしいと、なんともすごいクレームが付けられたというニュースをみました。
挨拶を不快に感じる人なんてごく一部の人だと思いますが、最近は昔のように挨拶を励行せず、自治体の中には子どもたちに対して防犯の理由から挨拶をしないよう指導している所もあると聞きます。
たしかに幼い子どもを持つ親御さんにとっては、不審者に目をつけられないよう子供に挨拶をさせないというのは良い対策かもしれません。
しかし、やはり私は挨拶をされたらうれしいし、また自分も相手に挨拶することで今の社会が少しだけ心地よくなるものだと思っています。
仏様は挨拶についてどのようにおっしゃっているのでしょうか?
仏教の世界で挨拶とは何なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
挨拶をしないことが防犯?
こんばんは。この件については、私も個人的に頭を悩ましております。
というのは、子どもにとって「挨拶ができる」というのは、「他者との関係を自発的に作れる」ことと考えているからです。
「挨拶をしないことで、犯罪が減った」という調査でもあるのでしょうか?そうだとしたら、「挨拶の替わりの何かで、同じような経験ができる」ことを考えているのかしら。そりゃ誰彼構わず挨拶して、結果望ましくない人間関係に陥ってしまう…という可能性はあると思いますよ。けれど、そうすることで「そもそも全体としての人間関係がギスギスしたものになる」という弊害はあると考えます。「スマートホンを持っていないから仲間はずれにされる」という所だけ見て買い与えてしまうのと似た構図があるような気がします。「最悪を避けて二番目を取る」ということですね。
仏教では、「因と縁によって、物事は成り立ち、移り変わる」というのですから、「縁」に大きく作用する「挨拶」は大切にします。私達は多分、朝のお勤めで「この世界で、いま私と共に生きるみなさん、おはようございます」と述べていると思うほどです。
ですので、あなたの自然な感情である「挨拶することで、社会が少し心地よくなる」は大切にしていただきたいと思います。もちろん、関係によって表現の程度に差はあると思いますよ。その「関係によって挨拶の仕方も変わる」こと自体、社会性の育ちに寄与するものだと思いますので、自然な挨拶は無くなって欲しくないですね。
質問者からのお礼
挨拶することはやっぱり大切なことなのですね。
そして、挨拶にこれだけ深い意味があるなんて知りませんでした。ありがとうございます。