hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

乱暴な言葉への対処法

回答数回答 4
有り難し有り難し 265

怒鳴られたり、理不尽な怒りをぶつけられたときの対処法についてアドバイスをいただきたいです。

誠実なアドバイスは喜んで吸収するのですが、度々関係ない人格否定の言葉を投げられることがあります。

「お前は何をやってもダメだ!」
「親の育てが悪かったんだな」
「人間のクズ」…などなど。

私がミスしたのは私が悪いですが、何もそこまで…と思うぐらい、人格否定までしてくる人によく出会います。

ここまで怒鳴られて威嚇されると、私は怖くて意見が言えなくなります。ここで対抗したら後から怖い間に合うんじゃないか?とか1人怯えてしまいます。

共感してくれる友達や家族はいます。
ですけど、お互い傷を舐め合うような状態で前に進んでいないので、このままでは終わりがないなと思いこちらに相談いたしました。

この人たちはなぜわざわざ敵を増やすような発言をするのでしょうか?

こういう人たちに対してはどういう対応を取れば良いんでしょうか?

アドバイスお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誠実さも怒鳴り声も同じ

 私が思うに誠実な意見も怒鳴り散らした意見も同じだと思います。良くお茶を濁した言い方や遠回しな言い方をしてなるべく相手を傷付けない言い方をする人もいますが、心の中で思っている気持ちは同じだと思います。
(きつい言葉)             (優しい言葉)
「お前は何をやってもダメだ!」→「あなたはやれば出来る子だ。」
「親の育てが悪かったんだな」 →「君が悪いわけではないんだ。気にするな。」
「人間のクズ」          →「出来ないなら、出来るまですればいいだろう。頑張れ。」
どうでしょう。あなたのされたことはハッキリ言って、パワハラです。しかし、暴力ダメ。きつい言葉ダメ。なら、形を変えて今度は褒めるパワハラ、褒め殺しが待っています。そして、上司から褒められた部下は褒められたことしかやらない、褒められたいから頑張り、いつの間にか過労死・・・。褒めていたから、パワハラとは中々認定されずに・・・野放しにされてしまう。
 言葉に騙されずに、言葉の奥に秘めた思いを受け取ることも大切かもしれませんね。上司の方も個々の性格に合わせた注意をすることも大切ですね。でも一番は自分がされて嫌なことは他人にしないことです。自分の事は解っているようで解らないものですよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

うんこ

”この人たちはなぜわざわざ敵を増やすような発言をするのでしょうか?”
まったくだねー

”こういう人たちに対してはどういう対応を取れば良いんでしょうか?”
まず喧嘩するに値する相手かどうか、事を構えるに値する事例かどうかを検討しましょう。
もちろん、中には看過できない許しがたい事もあるでしょう。しかしながら、私の経験上、多少ムカついたとしても、そのほとんどがじつは争うに値しません(笑)逆に、いちいち片っ端から重箱の隅を突くように、やれパワハラだ、セクハラだ、モラハラだと騒ぎ立てれば、もしかするとあなたは裁判では勝てるかもしれないけど、触らぬ神に祟りなしといわんばかりにまわりから面倒くさいヤツというレッテルを貼られて、厄介者として敬遠されるだけでしょう。

”誠実なアドバイスは喜んで吸収するのですが”
あなたのおっしゃる通り、あなたにとって栄養分となる助言や忠告は素直に耳を傾け、吸収すべきです。でも、みんながみんな常に的確に表現できる能力をそなえているとはかぎらないし、あなたが心底頷けるまで懇切丁寧に説明している時間があるともかぎらないでしょう。

暴言も嫌味も、
好き嫌い言わずとりあえず食べてみて、必要な栄養分だけ吸収したら、

あとはウンコとして排泄しいちゃいましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
平日は夜間のみ対応可能。

とりこまない

山奥に貼られた罵詈雑言はそこに罵詈雑言が存在しても誰にも届かないから安全な罵詈雑言です。
ネットの奥に書き込まれた悪口も同じです。
人が独り言で言っている罵詈雑言は誰に対していってるのであってもこちらが拾い上げなければ誰も傷つくことはありません。
同時に、その人が口にした罵詈雑言も誰が言っていることでしょうか。
あなたがそこに居たというだけです。
全部自分のことにしなくていいのです。
悪口や罵詈雑言は言葉がそこに生じただけです。
人間は誰でも完璧な人間ではありませんし、聖人君子ではありません。
あなたも完ぺきではない。
その人も完ぺきではない。
完ぺきではないのですから相手に高い人間性を求めなくていいのです。
完璧でない。固定的ではない。絶対的ではないのですから、自分も自分らしさなどというものも持たなくていいのです。
これが私だ、私だ、私が、私が、という自分を認めたもの、そういう考えは自我のカベになります。自我のカベがあると相手の言葉もぶつかります。
だからもっとしなやかになる必要がある。
「これがワタシ」という固定的に凝り固まったものなどない方がいいのです。頭が固くなると、自分の姿勢・スタンス・生き方がコチコチになる。
もっとしなやかになりましょう。
どのくらいしなやかになればいいか。
映画『マトリックス』の銃弾除けやイナバウアーぐらいしなやかになりましょう。
相手の言葉が銃弾であれば取り込まないことです。
銃弾はもう通り過ぎました。
ホトケ的イナバウアーで反り返ってよけることです。
何か言われている時も「無駄だ」と念じましょう。
ですが、言われていることの趣旨だけはきちんと聞いておきましょう。聞かざる、聞かざるではただの逃げです。言葉を機能させない程度にするのです。
禅では公案というものがあります。
「おまえはほんとうにばかじゃのぅ」。
人はこういう言葉に引っかかる。
あなたが言われたバリゾーゴンもそこにつかまらない。とりこまないこと。
そこ自我・我見という自分流の見解が生ずると、たった一言の言葉で人生が崩壊します。そういう崩れやすい砂のお城ではいけない。結婚した相手が結婚後にトンデモな言葉を発するかもしれない。
そこで過剰反応せず、笑って「ハイハイ。そういうこと言わない。(笑)」という程度に流せるくらいが一番良いのです。
叱る際に言葉が強い人は弱い人なのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

いろいろな対処法があると思います。
一つは相手が仏様から遠い存在にあると思う方法。自分も他人も分け隔てなく見ることができるのが仏様(悟りの境地)であり、仏様のものの見方であり、仏様には慢心という煩悩は無いのです。しかし、その人は慢心の煩悩があり、他人に暴言を吐くので仏様からとても遠い位置にあるということなのです。あなたの方がよっぽど仏様に近い位置にあるのです。ですから、この人はまだまだ仏道修行が足りないなあ、仏様から遠いなあ、と思って哀れんで聞き流すのです。
二つめの方法は、相手の言葉をポジティブに解釈する方法です。
「お前は何をやってもダメだ!」
と言われたら、心の中で「この人は私のことを心配して、何か一つでも得意な分野を作らないとこれからやっていけないぞ。と思って、ついこんな厳しい言葉を言ってしまったに違いない」と解釈しましょう。
「親の育てが悪かったんだな」
と言われたら、心の中で「親は愛情を持って一生懸命育ててくれたはずです。その親に報いるためにも、勉強や仕事を頑張るんだぞ。と思ってこんな厳しい言葉をつい言ってしまったんだな」と解釈しましょう。
「人間のクズ」
と言われたら、心の中で「あなたはやれば出来るという事を私は知っている。しかし世間の目は厳しい。少し失敗するとクズ扱いされてしまう。しかし、それで落ち込んではならない。その失敗を糧としてもっと成長して欲しい。今はクズとあえて言うけど、それは立派な人材になって欲しいという気持ちの裏返しなのだ。と思ってつい言ってしまったのだな」と解釈して聞き流しましょう。
三つめの方法は、心の中でそっくりそのままお返しする方法。
何か暴言を言われたら、心の中で「それはあなたのことですね」と思ってください。
あるいは「それはあなたにお返ししますわ」と思ってください。

他にも方法はあるでしょう。何かあなたに合う方法で、今後のためにも、意味のない暴言を聞き流す方法を身につけてくださいね。
負けないでくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

ありがたいたくさんのお言葉、ありがとうございました。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。

文章を読んでいる間、ボロボロと涙が止まりませんでした。いただいたお言葉は大事にスクリーンショットで保存しました。辛いときに読むようにします。

お忙しい中本当にありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ