乱暴な言葉への対処法
怒鳴られたり、理不尽な怒りをぶつけられたときの対処法についてアドバイスをいただきたいです。
誠実なアドバイスは喜んで吸収するのですが、度々関係ない人格否定の言葉を投げられることがあります。
「お前は何をやってもダメだ!」
「親の育てが悪かったんだな」
「人間のクズ」…などなど。
私がミスしたのは私が悪いですが、何もそこまで…と思うぐらい、人格否定までしてくる人によく出会います。
ここまで怒鳴られて威嚇されると、私は怖くて意見が言えなくなります。ここで対抗したら後から怖い間に合うんじゃないか?とか1人怯えてしまいます。
共感してくれる友達や家族はいます。
ですけど、お互い傷を舐め合うような状態で前に進んでいないので、このままでは終わりがないなと思いこちらに相談いたしました。
この人たちはなぜわざわざ敵を増やすような発言をするのでしょうか?
こういう人たちに対してはどういう対応を取れば良いんでしょうか?
アドバイスお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誠実さも怒鳴り声も同じ
私が思うに誠実な意見も怒鳴り散らした意見も同じだと思います。良くお茶を濁した言い方や遠回しな言い方をしてなるべく相手を傷付けない言い方をする人もいますが、心の中で思っている気持ちは同じだと思います。
(きつい言葉) (優しい言葉)
「お前は何をやってもダメだ!」→「あなたはやれば出来る子だ。」
「親の育てが悪かったんだな」 →「君が悪いわけではないんだ。気にするな。」
「人間のクズ」 →「出来ないなら、出来るまですればいいだろう。頑張れ。」
どうでしょう。あなたのされたことはハッキリ言って、パワハラです。しかし、暴力ダメ。きつい言葉ダメ。なら、形を変えて今度は褒めるパワハラ、褒め殺しが待っています。そして、上司から褒められた部下は褒められたことしかやらない、褒められたいから頑張り、いつの間にか過労死・・・。褒めていたから、パワハラとは中々認定されずに・・・野放しにされてしまう。
言葉に騙されずに、言葉の奥に秘めた思いを受け取ることも大切かもしれませんね。上司の方も個々の性格に合わせた注意をすることも大切ですね。でも一番は自分がされて嫌なことは他人にしないことです。自分の事は解っているようで解らないものですよ。
うんこ
”この人たちはなぜわざわざ敵を増やすような発言をするのでしょうか?”
まったくだねー
”こういう人たちに対してはどういう対応を取れば良いんでしょうか?”
まず喧嘩するに値する相手かどうか、事を構えるに値する事例かどうかを検討しましょう。
もちろん、中には看過できない許しがたい事もあるでしょう。しかしながら、私の経験上、多少ムカついたとしても、そのほとんどがじつは争うに値しません(笑)逆に、いちいち片っ端から重箱の隅を突くように、やれパワハラだ、セクハラだ、モラハラだと騒ぎ立てれば、もしかするとあなたは裁判では勝てるかもしれないけど、触らぬ神に祟りなしといわんばかりにまわりから面倒くさいヤツというレッテルを貼られて、厄介者として敬遠されるだけでしょう。
”誠実なアドバイスは喜んで吸収するのですが”
あなたのおっしゃる通り、あなたにとって栄養分となる助言や忠告は素直に耳を傾け、吸収すべきです。でも、みんながみんな常に的確に表現できる能力をそなえているとはかぎらないし、あなたが心底頷けるまで懇切丁寧に説明している時間があるともかぎらないでしょう。
暴言も嫌味も、
好き嫌い言わずとりあえず食べてみて、必要な栄養分だけ吸収したら、
あとはウンコとして排泄しいちゃいましょう。
とりこまない
山奥に貼られた罵詈雑言はそこに罵詈雑言が存在しても誰にも届かないから安全な罵詈雑言です。
ネットの奥に書き込まれた悪口も同じです。
人が独り言で言っている罵詈雑言は誰に対していってるのであってもこちらが拾い上げなければ誰も傷つくことはありません。
同時に、その人が口にした罵詈雑言も誰が言っていることでしょうか。
あなたがそこに居たというだけです。
全部自分のことにしなくていいのです。
悪口や罵詈雑言は言葉がそこに生じただけです。
人間は誰でも完璧な人間ではありませんし、聖人君子ではありません。
あなたも完ぺきではない。
その人も完ぺきではない。
完ぺきではないのですから相手に高い人間性を求めなくていいのです。
完璧でない。固定的ではない。絶対的ではないのですから、自分も自分らしさなどというものも持たなくていいのです。
これが私だ、私だ、私が、私が、という自分を認めたもの、そういう考えは自我のカベになります。自我のカベがあると相手の言葉もぶつかります。
だからもっとしなやかになる必要がある。
「これがワタシ」という固定的に凝り固まったものなどない方がいいのです。頭が固くなると、自分の姿勢・スタンス・生き方がコチコチになる。
もっとしなやかになりましょう。
どのくらいしなやかになればいいか。
映画『マトリックス』の銃弾除けやイナバウアーぐらいしなやかになりましょう。
相手の言葉が銃弾であれば取り込まないことです。
銃弾はもう通り過ぎました。
ホトケ的イナバウアーで反り返ってよけることです。
何か言われている時も「無駄だ」と念じましょう。
ですが、言われていることの趣旨だけはきちんと聞いておきましょう。聞かざる、聞かざるではただの逃げです。言葉を機能させない程度にするのです。
禅では公案というものがあります。
「おまえはほんとうにばかじゃのぅ」。
人はこういう言葉に引っかかる。
あなたが言われたバリゾーゴンもそこにつかまらない。とりこまないこと。
そこ自我・我見という自分流の見解が生ずると、たった一言の言葉で人生が崩壊します。そういう崩れやすい砂のお城ではいけない。結婚した相手が結婚後にトンデモな言葉を発するかもしれない。
そこで過剰反応せず、笑って「ハイハイ。そういうこと言わない。(笑)」という程度に流せるくらいが一番良いのです。
叱る際に言葉が強い人は弱い人なのです。
いろいろな対処法があると思います。
一つは相手が仏様から遠い存在にあると思う方法。自分も他人も分け隔てなく見ることができるのが仏様(悟りの境地)であり、仏様のものの見方であり、仏様には慢心という煩悩は無いのです。しかし、その人は慢心の煩悩があり、他人に暴言を吐くので仏様からとても遠い位置にあるということなのです。あなたの方がよっぽど仏様に近い位置にあるのです。ですから、この人はまだまだ仏道修行が足りないなあ、仏様から遠いなあ、と思って哀れんで聞き流すのです。
二つめの方法は、相手の言葉をポジティブに解釈する方法です。
「お前は何をやってもダメだ!」
と言われたら、心の中で「この人は私のことを心配して、何か一つでも得意な分野を作らないとこれからやっていけないぞ。と思って、ついこんな厳しい言葉を言ってしまったに違いない」と解釈しましょう。
「親の育てが悪かったんだな」
と言われたら、心の中で「親は愛情を持って一生懸命育ててくれたはずです。その親に報いるためにも、勉強や仕事を頑張るんだぞ。と思ってこんな厳しい言葉をつい言ってしまったんだな」と解釈しましょう。
「人間のクズ」
と言われたら、心の中で「あなたはやれば出来るという事を私は知っている。しかし世間の目は厳しい。少し失敗するとクズ扱いされてしまう。しかし、それで落ち込んではならない。その失敗を糧としてもっと成長して欲しい。今はクズとあえて言うけど、それは立派な人材になって欲しいという気持ちの裏返しなのだ。と思ってつい言ってしまったのだな」と解釈して聞き流しましょう。
三つめの方法は、心の中でそっくりそのままお返しする方法。
何か暴言を言われたら、心の中で「それはあなたのことですね」と思ってください。
あるいは「それはあなたにお返ししますわ」と思ってください。
他にも方法はあるでしょう。何かあなたに合う方法で、今後のためにも、意味のない暴言を聞き流す方法を身につけてくださいね。
負けないでくださいね。
質問者からのお礼
ありがたいたくさんのお言葉、ありがとうございました。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
文章を読んでいる間、ボロボロと涙が止まりませんでした。いただいたお言葉は大事にスクリーンショットで保存しました。辛いときに読むようにします。
お忙しい中本当にありがとうございます。