人のことを好きになれません
人のことを好きになれません。
小学生の時に母の不倫をしってから人のことを心の底から信じることができず、人のことを好きになれません。
特に初対面の人は苦手で、少しでも私の心に近づかれると拒絶してしまいます。
仲良くなれた友達と楽しく話していてもいつかは居なくなってしまう…と思って、寂しくなります。
いつかは子どももほしいし、幸せな家庭を持ちたいと思うのですが、いつも心の何処かでは身内でさえ裏切るのだから赤の他人なんて尚更信頼できないと思っている自分がいて、とても疲れてしまいます。
人のことを嫌いになりたくないし、もっと信用できるようになれたらずっと楽なのになと思うのですが、どうしても一歩近づかれてしまうと拒絶してしまいます。
どうしたらいいのでしょうか…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
基本的に他者は信用できませんが、
あなたがお感じになっている通り、私も他者をあまり信用していません。というより、基本的に信用できないものだと考えています。たとえば私の回答例のなかに私たち夫婦の仲人夫婦が登場します。この夫婦は頼まれ仲人などというものではなく、紹介者(私が頼んだのではない)であり、ありていにいえば押しかけ仲人です。でも、無責任極まりなく嘘ばかりつきます。要はカネ目当ての連中です。
しかし、表面上は先生であったり、ボランティア活動家であったりしますので、外見上は「ほとけさん」みたいな人達です。ここが坊さんの厄介なところで、善人の衣をかぶっているので、ぱっとみで騙されてしまうんです。
たとえばこんなふうに、人は信じないに越したことありません。
では、誰もが信じられないのかというとそんなことありません。信頼できる方はおいでになります。そういう人ととの出会いを待つことでし、積極的に探すことも重要でしょう。
さらにいうと、大抵の人間はよい面と悪い面の両方を兼ね備えているので、他者のよい面を引き出していく努力も必要なのかな、と思います。同じ人があなたの努力でよい人になるし、その逆に悪い人になってしまうこともあるのでしょう。
私自身に言い聞かせるようにこの文章を書かせていただきました。
信頼に値する方とのご縁を
拝読させて頂きました。なるほど、今までのことであなたは他者を信じられないと思っておられるのですね。
そうですね、簡単に安易に信用することはできないとは思います。
とはいえその信用できない者は全てに当てはまるでしょうか?そしてそれはあなた自身も含まれるのでしょうか?
どのような方の心にも素直な善なる心もあれば、欲や嘘もあるでしょう。それを気がつかない中で使い分けているかもしれません。
しかしその中でも必ず信じるに値する方やものごとはあるものです。
しっかりと自分の見方や考え方を据えて正しいと判断できることや嘘偽りのないことを見極めてからあなたにとって心から信じられる方やものとのご縁に恵まれて少しずつ信じていくことができるようになると思います。
私達は決して独りで生きているわけではありません。様々なめぐり合わせやつながりの中でお互いを尊重しあいながら信頼しあいながら生きているのです。
これからあなたの未来にあなたが信頼に値する方とのご縁に恵まれながらお互いをしっかりと理解しあい信頼を深めていかれて、心から分かち合いながら幸せに共に生き抜いていかれますようにと心からお祈りさせて頂きます。
私はそのような素晴らしい出会いがあなたにもたらされることを信じます。
どうぞあなたの素直なお気持ちで様々なご縁を結んでいって下さいね。