疲れて消えて無くなりたい
死にたい消えて無くなりたい気持ちが度々起こります。
犬が大好きで大好きで…でも3年前かけ掛けない愛しいコを亡くしました
持病で妊娠出産を諦めざるを得ない自分にとってはたかがペットではなく我が子でした。
病弱な愛犬を必死で育てて愛も手間も時間もお金も惜しくなかった…
このコさえ元気で幸せならそれが私の幸せでした…
それが逝ってしまったときに生きる意味も見失いました。ただただ喪失感…
愛犬の後追いをしたかったけど家族に泣いて止められ気を紛らすために新しい犬達を与えられました。
新しい子を放って置けないのと親より先に死ぬのは悪いと思いなんとか生活してました。
けれど先の亡くした愛犬の喪失感に襲われては、ついて行きたい…あのコの側に行きたい…と度々願ってしまいます。
そんな時持病が悪化し一時意識不明までなりました…正直言うと死ねなくて残念と思いました…
本当は治療すらしたくない…手術の予定があるけど治るわけではない…ならしたくない…服薬もせず放って置けば数日で呼吸困難になるのだから薬もいらない…
そう思うことの方が多いけど家族が悲しむので声にも顔にも出せない…誰にも言えない…
普通の人は人間ならともかく失ったのが所詮犬なのだからと理解すらして貰えない…
誰にもわかってもらえない…
それでも今いる犬達は愛してます。
せめてこのコ達の幸せの為になんとか頑張ろうと必死だったけどもう疲れてどうしていいのかわかりません
何もする気も食べる気も起きなくて
今の愛犬たちすら構ってやる気力もなくて…寂しい思いさせてるのに申し訳ないのに何も気力がなくて…
いっそこの子達を連れて消えて無くなりたい…先に逝ったあの子の所にみんなで行きたい…
文章が上手くまとめられず申し訳ありません。
誤字脱字もありましたら申し訳ございません。
ただ誰かに吐き出したかっただけかもです。自分でもよくわからないのです。
もしこんな乱文長文に目を通して下さった方おられましたらお目汚し大変申し訳ございませんでした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏さまから与えられた命
拝読いたしました。
私は、あなたを救うことは出来ません。
しかし、お気持ちは充分に理解できます。
ずっとその子と触れ合っていたかったですね。
愛を与えられ、与えたかったでしょう。
出来れば、自分より長生きして欲しかったですね。
それが、ひとりで、急にどこへいってしまったのか。
病弱だったのに、そんな体でどこへ行ってしまったの?と胸が圧迫される想いですね。
私の寺院には、犬猫供養塔があり、お参りの方の悲しみの声が聞こえてきます。
皆様それぞれ喪失感をお持ちになり、お参りに来られます。
私にもウズラがおりました。
普通の人なら、ただの食料だろと思われるでしょう。
しかし、私にはかけがえのない存在でした。
書き物をしていたら、手元に来て邪魔をしたり・・
本当にかわいい子でした。
この18日で1年になります。
葛井寺の観音様にお参りへ行こうと思ってます。
でもそれは、ウズラの事よりも、自分を癒すためかも知れません。
生物の死亡率100%
当たり前のことですが、分かっていますが、受け入れがたいものがあります。
ご両親が悲しむから、無茶なことは出来ない。
新しいわんこのためにも、ここは思いとどまりたい。
あなたはそのことについてどうお考えかはわかりませんが・・・
私には愛のある行いだと感じます。
自分のこの命、仏から与えられた命と、少なくとも私はそう感じています。
だから、どんなにしんどくなっても、全うしてみようと思うのです。
あなたが死んでしまったのであれば、ご冥福をお祈りします、としか伝えられませんが、あなたは生きている。
なので、死なないでくださいと伝えたい。
わんこは、仏さまから与えられた命を全うし、仏さまのところへ帰られたのです。
その子が悲しみますよ。
自分のせいで、と。
幸せになるコツ
仏教は、幸せになるコツを教えてくれます。
神様仏様にすがって助けてもらうのではなく、自分で自分を幸せにするテクニックのかたまりが、仏教です。
少しずつでも仏教を学んでみてください。
たとえば、四諦(したい)、五蘊(ごうん)、という言葉を調べてみましょう。
心に浮かんでは消えてゆく思考や感情の流れを、眼を閉じて観察してみましょう。
心に浮かんでは消える妄想雑念を、シャワーを浴びるようにただただ受け流してみましょう。
シャワーって、水を身体中にぶつけられるんだから、よく考えたら苦痛な刺激なはず。
散歩中に雨に打たれたら気持ち悪いですしね。
しかし、自分から「さぁシャワーを浴びるぞ」と心の準備をして浴びたら、苦痛どころか気持ちいい。
心に浮かぶ妄想雑念も、眼を閉じて、しばらくシャワーのようにただただ浴びてみてはどうでしょうか。
水滴が身体を流れて通りすぎてゆくように、妄想雑念をただ過ぎ去らせてみましょう。
質問者からのお礼
お返事くださった御坊様方ありがとうございます。
家族にすら「いつまで悲しんでるの茶々(亡くした愛犬)はもう帰って来ないから諦め!」と言われてからずっと泣く事も吐き出すことも出来ずに居ました。
もう帰って来ないこと、抱きしめる事も声を聞くことも出来ないこと、それが現実だとわかってはいるのです。
茶々の無くなる前2年8ヵ月は複数の病気が重なった茶々の看護と介護で大変なことになりました。睡眠2時間なんて当たり前、私自身の持病や体調なんてどうでも良かった。その時間すら幸せだった。
それが消えて無くなってどうしていいのかわからない…生きがいが消えて次はどこを見て生きればいいのかわかりません。
3年以上経過しても茶々を過去の幸せな思い出にする方法がわかりません。
未だ度々、一度でもいいから抱きしめて毎日行った散歩コースを一緒に歩きたいと思ってしまいます。
もし天国で茶々が居るなら会いに行きたい、そしたらずっと一緒に居られると思ってしまいます。
自殺したら私は地獄に行って会えないから持病が早く悪化しろと思うこともあります。
過去数頭の犬を飼って何度も天国に見送ったけど茶々だけが他のコのように割り切ることが出来ずにいます。
目一杯愛して最期まで出来ることはやり尽くして後悔はしてないはずなのに。
他に楽しいことを見つけようとしても茶々と一緒にいた時ほど素敵なことは見つかりません。
生きる意味も生きがいもわからない→家族や今いる愛犬の為にも死んではいけない→だけどやっぱり生きる気力になるものが見つからない、の堂々巡りで疲れてしまい、いっそ自分が煙みたいに消えて無くなればいいのに…って思考になってしまいます。
当然そんなことは有り得ないのはわかっているのですが…
また上手くまとめられなくて申し訳ありません。
2人もの御坊様から回答を頂いたのにいつまでもウダウダしてて本当に申し訳ありません。
実は朝から回答を拝読させて頂きずっと色々考えていました…まだ頭の中はグチャグチャなのですが…
いつまでも鬱陶しくて奴だと自覚はありますのでスルーして下さっても結構です。