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私のような人間は社会から脱落して生きるしかないですか?

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有り難し有り難し 17

大学の実習で困っています。

私は地味で内気な性格なので友達がいません。

小さなころからよくいじめられ引きこもってました。
大学でもいじめにあい一度退学した後に別の学校に入りました。
最初は穏やかに過ごせていました。

最近複数人で行う実習が増えてきました。
いつも同じメンバーです。
私は嫌われていて後片付けばかりやらされています。班の人は目立つ作業を独占して私に後片付けを押し付けます。話しかけると嫌な態度をとります。

何か作業をやろうとすると文句をいわれるので自然と洗い物ばかりになります。

先生は「授業には積極的に参加しなさい。毎年見てるだけの人、洗物しかやらない人がいます。そういう人は成績を下げます」と言います。

先生は片付けだけさせられてる人の気持ちがわからないのです。好きで片付けだけしてるのではないのに。

私が先生だったなら人に嫌な作業を押し付ける人の成績を下げるのに。

学校のカウンセラーにも相談しました。でも彼女たちも私のような人の気持ちがわからないのでしょう。彼女たちはとてもやさしくひどいひとたちです。

私がいつも一人でいる周りとは違う人間だから他の女の子は戸惑っているのだそうです。彼女たちは悪くない。私があの子たちを悪く思ってるから余計に拗れるのだと。

そんなのは私が嫌な態度を取られたり洗物担当にされる理由にはならないと思います。もはやいじめの域に入っている感すらあるのに。

この前の授業で次回の実習の打ち合わせをしてたら当たり前のように貴方は洗物担当と言われました。他の子はケーキを作ったり野菜を切る役です。
内容をまとめた紙には班の人は下の名前で私だけイニシャルで書かれていました。
悲しくて教室を飛び出したので今度会ったらまた酷い目に合うと思います。

一つだけ別のメンバーで行う実習があります。そこの人たちは優しくて困ってたら声をかけてくれます。

でもその人たちが特別優しいだけで普通の人にそれを求めるのは図々しいことなのでしょうか?

私のようにどこに行ってもいじめに合う人は生きることに向いていないのでしょうか。どこにいっても面倒をかける嫌な人と思われるのでしょうか。嫌われるのでしょうか?

私は誰かを傷つけたいとは思いませんがもうだれともかかわりたくないし、嫌なことばかり起きる人生が苦しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自然に生きる

拝読いたしました。

私にはあなたが善なる存在であると感じました。
あなたは、みんなが嫌がることを率先してこなし、他にも様々な心配りをしてこられたのでしょう。

学校の道徳でもそう教えられました。
あなたは、道徳の教科書通りに生きています。

だが、いくら道徳の教科書でも世間はあなたを遠ざける。
配慮のできる人であろうがそこは関係なし。

逆に利用されるだけ。
バカにされるだけ。

なんでこんなに、世の中は世知辛いのでしょうか。

みんなそれぞれ余裕がないのでしょうね。
だから、いやな顔をせずなんでも聞いてくれる人に、あたり散らすのでしょうか?

でも、それはしてはいけない事。
あってはならないことです。

みんなそれぞれに苦しいけど・・・
しかし、もえさんの周囲では、あなたが一番頑張っています。
精神的にも肉体的にも。

味方などは「特別な人」のみ。

世の中、苦しんでいる人はたくさんいます。
全体的に見れば。
じゃあそんな人と比べれば、あなたの苦しみは耐えれるレベルなのか?

私の答えはNoです。
あなたは現実苦しんでいるのです。
世界の人々と比べる必要なんてないし、思いっきり苦しんでいると考えていい。

これは修行です。

なぜだかは分かりませんが、仏があなたに大きな試練を与えました。
だから、立ち向かえとは言いません。
孤立するなとも言いません。
今まで通りが落ち着くなら、今まで通りでいいし、人を避けたければ避ければいい。

ただ自然に任せ生きて欲しいと願うのみです。
どの選択肢をとっても、平坦な道のりではありませんが。

でも、人生いっぱい苦労するほど返ってくるものも大きいですよ。

最後に。
あなたの文を読んでいて感じたのですが、もえさんは工夫して乗り越えていくことができる人です。
しっかりと自分を見つめておられます。

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時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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あなたの未来を

拝読させて頂きました。大変辛い思いをなさって今あなたは必死に生きていらっしゃることを読ませて頂きました。あなたのその心底辛いお気持ちを心よりお察し申し上げます。
人は全ての人に好かれ愛されることはありません。同様に全ての人に嫌われいやしめられることはありません。
生きている中で様々な人々と関わりあう中である人には好かれある人には嫌われること、それは必然なのかと思います。
あなたの言葉や行動を全ての人が嫌うわけではありませんし、全ての人に好意を持たれることもないのです。
人とのコミュニケーションは相手を思いやることは大切ですが、無理に相手に合わせることでもないのです。
相性の悪い人もいますし、相性の良い人もいます。またその年齢や状況によっても好感持てるか嫌悪するから時と場合によるのです。
ですからあまりに人との関わりにとらわれてしまいますと心身ともに疲れ果ててしまいます。
極論かもしれませけれど無理に人に合わせる必要はありません。
実習や課題や仕事もあなたがなすべきことに向き合い真摯に行っていけばいいのです。嫌味な人々合わない人々とは割り切って対応して必要最低限でもいいかと思います。
或いはその方々の態度や姿勢や言葉をできるだけ真に受けずに冷静に静観することが必要です。その方々の思考や行動パターンをじっくりとさりげなく観察してみてもよいかと思いますよ。
そうしてあなた自身の心にも余裕を作りましょう。

逆に相性の合う方や好感持てる方々とは積極的に交流して様々なことを分かち合いましょう。
そしてあなた自身の心を開いて下さいね。

生きているといざこざもありますし、うまくいかないことも沢山あります。
とはいえ全てが全くうまくいかないわけでもないのです。
そしてあきらめなければ必ずどこかに活路はあり、支えてくれる方々が見守っていてくれる方々がいるのです。

あなたはこれからも決して独りではありませんし、沢山の方々と一緒に生きていくことができるのです。

どうぞあなた自身が決して自分を追い込まずに少しずつ心にゆとりを持って下さいね。

あなたがこれからの未来沢山の素晴らしい出会いや経験に恵まれていかれ心から充実した毎日を過ごしていかれお健やかに成長なさっていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
そしてあなたを心より応援させて頂きますね!

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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