亡くなった人と繋がっていたい。
何度もすみません。恩師の死について
これまでたくさん質問させていただき
ました。考えれば考える程ここに
質問したくなります。
恩師が亡くなってから、やはりまだ
実感がないですが、寂しさを感じます。
亡くなったのではなく、今は会えないだけ。
そう思って過ごしていますが、ふと、
現実が頭をよぎり脱力感に襲われます。
恩師はあの世というのを信じてませんでした。
よくハスノハでも、見守ってくださる。
とか、そばにいる。とか、あの世で会える。
という回答を見ますが、それはこの世に
いる人間が淋しさを紛らわすために
考えだしたことですか?あの世があるか
どうかもわからないのに、見守るなんて
それ以前の問題のように感じてしまいます。
私は信じていますし、信じたいけど、
恩師が亡くなってからそんな風に思えなく
なってしまいました。見守ってくれてる
なら、あんなに可愛がってくれた私に、
今も寂しくて仕方ない私に、何かメッセージ
を送ってくれないのかなと。夢でもいいし、
何か恩師が見てくれている!という
実感がほしいのかもしれません。
あの世でも恩師と繋がっているという
実感がほしいです。毎日恩師が頭から
離れず、とにかく会いたくて、話したくて、
触れたくて、声を聞きたい毎日です。
もう顔も見れない。声も聞けない。
来世でまた会えたとしても、私が
死ぬまではもう会えない。この世で
恩師と過ごしてきた日々はもう二度と
こないし、これから先は恩師のいない人生
を歩むしかない。こんなことは信じられ
ないし、やっぱり受け入れられません。
どこまでも、ついていきたい人なのです。
死んだら自然に帰るから、手を合わせたり
外の空気を感じたり、今日という日に感謝
したり。でも、恩師を感じたいんです。
子供が2人いるため、悲しむ暇もなく、
子供が心配するため涙も流せません。
本当はもう恩師がいないことをどこかで
わかっているのです。だから寂しくて
今も大好きで会いたくて仕方ありません。
あの世で見守ってくれているという事実や
実感がほしい。科学で証明できなくても
私がそう感じられたらそれでいい。
あの世にいても私と繋がっている、
いつもそばにいる、そう感じたいです。
じゃないと、心が持ちません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感じることです
拝読させて頂きました。あなたの深い悲しみのほどを読ませて頂きました。
あなたがおっしゃるように大切な方が亡くなられたことは本当に悲しいことです。例え1分でも1秒でも生きていてもらいたい、共にいたいと思うのが人としての思いです。
また嘘であってほしいとも思ってしまいますからね。或いは夢でもいいからもう一度話したい一緒に過ごしたいと思うのも人情です。
とはいえ大切な方が亡くなることはそれは事実です。
人として生を受けて肉体に宿り生きることは限りがあります。いずれはこの肉体を離れていかなければならないのが宿命ですからね。そして旅立っていくのです。
肉体から離れたとはいえ私達は無くなってしまうわけではありません。
私達の心は永遠にあるのです。
大切な方の命も永遠にあるのです。
よくよくゆっくりとその方を感じてみてはいかがでしょうか。悲しみはあるでしょう。それでもあなたの心を穏やかに研ぎ澄ましてみて感じることはありませんか?
誰かの存在を感じませんか?
あなたの心に問いかけてくる誰かの存在を感じませんか?
ゆっくりと耳を傾けて心を穏やかに広げてみてください。
様々なものごとの合間に何かを感じませんでしょうか?
あわてる必要はありませんがゆっくりと心を落ち着けてみると様々な存在に気がつくでしょう。
あなたを取り巻くものや見守り続けてくれている方々の存在に気がつくでしょう。
そして強く感じることでしょう。
ご縁
はしもと様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お気持ち、よく理解できるところでございます。
貴女様と同じとは言えないかもしれませんが、拙生も、日々、仏法を修習するための大恩師であり、六座上師瑜伽をお勤めさせて頂いております根本上師でもございますダライ・ラマ法王様が、もしもご遷化なさられましたら・・と思いますと、貴女様と同じような気持ちとなるかもしれません・・
しかし、法王様とのご仏縁(特に灌頂の拝受)は法王様がご遷化なさられても、拙生がもし先に亡くなったとしても途切れることはなく、続くものであるとして、また、来世、来来世、拙生が悟りへと至るまで続いてゆくものだと考えておりますので、例え、法王様がご遷化なさられましても、また拙生が、どのような形であっての死を迎えようとも、必ずまた次の世でもお逢いでき、ご指導を賜れるものであると確信できており、きっと悲しさや寂しさは、さほどには生じることは無いと思っております。(しかし、実際にそうなるとどうかはやはり別かもしれませんが・・)
とにかく、この世で特別に縁があった者とは、きっと来世でも縁が続いてゆくものだと思います。それぐらい稀有に稀有を掛け合わせるほど、例え一時であっても「縁」というのは有り難いものであるのであります。それがお互いに長く深い縁であればあるほど、やはりその縁は続いてゆくものであるのではないだろうかと存じます。
またきっとお逢いできるかと存じます。過去世、前世の記憶は完全に無くなっているでしょうが、それでも何か別のカタチにても善い報告ができますように(同じような特別な縁の繋がりがありますように)、今世の人生をしっかりと努めて参りたいものであります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
大変遅くなってしまいました。
やはりまだ、しっかりと受け止めてることはできていません。
でも、心の中で恩師を感じるようになりました。私も、恩師にまた会えると信じています。
この世ではなくても、いつかきっと、
また恩師に会って笑いあえると信じています。
そのためにも、恩師が教えてくださったことや
一緒に過ごしてきた日々を大切にしながら、
いつか会えるその日まで、誠実にまじめに、
恩師に再開しても恥ずかしくないような生き方をしたいと思います。恩師が強く生き抜いたように、私も強く精一杯生き抜こうと思います。
ありがとうございました。