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勉強がつらい

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私は現在、高校に通っています。現在テスト勉強をしており、近いうちに中間テストがあります。高校は、自分の偏差値よりだいぶ下げた所に入りました。周りからは「小春ちゃんなら学年1位じゃん」とか、「頭良いのに何言ってんの」などと言われますが、テストが不安で不安で仕方ありません。テストの点が悪かったらどうしよう、先生に見放されたら?周りからどう思われるだろう、みんなが出来ているのに自分は出来ていない、そんな風に思ってしまいます。
元々心配症でネガティブ思考ではありますが、とてもつらいです。以前、この様な事で不登校になってしまった事があります。それを防ぐために偏差値を下げたのに、どうしたら良いのでしょうか。最初のテストでかなり良い結果を取ってしまったので今回のテストで悪い結果だったら周りからどう思われるのか、そんなことばかり心配してしまいます。
どうか助けてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自意識過剰解決法

私の学生時代の話をします。
実際そうだったので参考にしてみてください。
私は「誰もそんなこと思っちゃいない」と自分に言い聞かせました。
みんなが自分のことを気にしているかと思いましたが、誰一人気にしていません。
何故かわかりますか。
あなたが人のことをさほど気にしていないでしょう。
みんなそうなのです。
みんな自分のコトしかないから人のことなどさほどどうでもいいのです。
私は学生時代は自意識過剰で苦しみましたが、本当は他人様は自分のことなど全くと言っていいほど気にしていないものです。
シラフになってそこを明らかにしてみましょう。
「ああ、みんな自分のことをやっているだけなんだ。」と分かれば他人の目を気にする必要が無くなり、自由快適です。
これを念じてください。
「あの人が私のことを気にしているのではないかと思っているのは私がそう思っているだけで、実際にその人はさほど気にしていないもの。」

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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