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後輩に好きな人を取られました

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有り難し有り難し 18

後輩に好きな人を取られました。

4年間、好きで何度も告白した人がいました。
しかし、結局のところ付き合うことはできませんでした。
周りも私がその人のことを好きだということを知っており、長いねぇなどと言われ、半分呆れられてもいました。

そういう中で、一番可愛がっていた後輩がその人と付き合うことになりました。
9月の頃だったと思います。ちょうどその頃、後輩が私に「○○(私の名前)さんは、好きな人いるんですか?」と聞いてきたので、素直にその人のことが好きだと伝えました。
後輩はそれを聞き、あまりに心的な距離が近すぎるからだめなんじゃないか、など色々とアドバイスをしてきました。私はその時、既に二人が付き合っているという事実を知らなかったので、素直にありがとうと感謝したりしていました。
でも、今となると、何故あの時そんなことを聞いてきたのだろうか、嫌味じゃないか?などと、思ってしまいます。
別に私の恋人でもないので、法的に裁いてやるなどという気はありません。ただ、そういった理屈とは別に、言わば、道義的な面で納得のいかない自分が居ることも確かです。
あそこまで可愛がっていたのに…、と寂しくもなります。
最近は蟠りも解け、普通に連絡を取ったりしていますが、告白した後輩の口から「別れたい。大して好きでもないけど、ノリで告白した」という趣旨の言葉が発せられると、俄に怒りを覚え、自分が情けなくもなります。
好きだった人にも、なんかごめん、と数回謝られました。

こういうことに執着することが仏道において、よくないこと承知しております。
だからこそ、このような執着から解放されたいと思っております。
ありがたいお言葉をいただけましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「取られた」というのは自分のものだったから使う言葉です。

 想像ですがね。
 あなたは、「二つを失った」と思っているのでしょうね。もちろん彼女と、それから「目をかけていた」後輩。どちらもあなたの所有物ではないのですから、「取られた」「失った」というのは言葉の誤用です。
 そう・・付き合ったって、結婚したって、相手はあなたの所有物にはなりません。だのに「所有している」かのように錯覚していた、それがあなたの「執着」なのでしょう。
 ですから、「解放されたい」も間違いです。「手放す」だけです。執着は、自分が握っている限りにおいて存在するもの。マントのように、「被っている」ものではないのです。
 思えば、言葉というのは随分あいまいなまま流通するものです。だからいちいち定義があって、ときどき立ち返らなければならないのだろうと思います。そして、人間の不幸は誤解や誤認から生まれることが実に多いのです。
 文学を対象として研究するのもよいでしょう。けれど、それを自分にとりこみ、血肉とすることもできるんじゃないでしょうか?今より「便利な」ものがずっと少なかった時代には、それだけ心や認識の仕方というものがシンプルだったのだろうな…と想像します。あなたの生きる糧…を生み出すものとしてではなく、糧そのものにすることも、できるんではないでしょうか。

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