ふと思いました。宗教とは、仏教とはなんだろう。
いつもお世話になっております。最近になって考えている事
なんですが、宗教とは、仏教とは一体何なんでしょうか?
釈尊曰く、
「行や祈りで障害や疾病が治癒すること、また事態が好転すること
はない。精進努力、また常に学び続ける姿勢が肝要」
だそうです。
ですが昨今、経文の曲解等により霊感商法や洗脳ともとれる
行動や言動に出る者が数多く存在することもわかりました。
信徒では憑き物信仰と思い込み、護摩の最中に暴れたり奇声を
上げたりしてお坊さんからお咎めを受ける人がいたり、
蹴落とす目的か他の信徒さんを誹謗中傷、または異性の信徒に
境内で付きまとい行為をしたりなど、無法な輩もしばしば
見かけることがあります。
私たちはどうあるべき?また、仏教とは何なんでしょうか?
私は、とにかく暇だと余計なことを考えてしまって気分が悪く
なるので様々な資格の勉強に手を出しています。
また、刑法や仏教とも縁が深いであろう人権がらみの法律を
勉強しています。(法燈明の教えによる)
基本、自分の体質の事は医師や行政のサポーターにのみ話し、
相談する事にしました。余計なトラブルを避けるためです。
死後のことは仏様に一任し、現世の修行としては常に学びの
姿勢を忘れず過ごすようにしています。
ご意見お待ちしております。よろしくお願いいたします。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それぞれが良く生きるための教え
20代から仏教に触れ、学び、色々な経験を重ねて
「仏教とは」の回答は少しずつ変化していきました。
30代半ばの今の自分としては、タイトルが回答でしょうか。
法華経に「この世のすべての生き物は、みんな私の子です」とあります。
お釈迦さまは親として、時には厳しく、時には優しく、時には諭して、様々な教えを説かれました。
ある先生は「我々(凡夫)にとって仏教とは方便」と話しました。
この方便はもちろん「嘘」という意味ではなく「近付ける手段」です。
私の宗派(日蓮宗)では、行や祈りで好転することを否定しません。
むしろ、それもアリです。
精進や努力はもちろん大切ですが
すごく頑張れる人もいれば、あんまり頑張れない人がいます。
そのため、難しい行、簡単な行など様々あります。
どれも、その方にとって良く生きるための方便(手段)ならば
それはすべて仏教だと思います。
そういう意味では
「仏教は、良く生きるための教え」というより
「良く生きるための教えを、総じて仏教と呼ぶ」が正しいのかもしれません。
まぁ、若坊主の一意見としてご参考までに(^^)
仏教の場合は
宗教とは、むねとする教え、生きる指針にする教えのことでしょう。
その中で、仏教とはどういう特徴をもつ教えか?
仏教の基本は、苦・集・滅・道の「四諦(したい)」です。
人生は苦である。(苦諦)
苦の原因は煩悩である。(集諦)
煩悩を滅すれば苦を滅することができる。(滅諦)
煩悩を滅するための方法(道)がある。(道諦)
つまり、仏教とは、
煩悩を消したり制御したりして、
悩み苦しみを消したり制御したりする教え
です。
障害や病気は、程度の差はあれ、誰にでもあります。人生には病苦がつきもの。(苦諦)
しかし、障害や病気に悩む人も悩まない人もいる。
その差は、煩悩が強いか弱いかです。
煩悩が弱まれば、病気はそのままでも、病気についての悩み苦しみは減るのです。
人生でやるべき精進とは、悩み苦しみをなくすための精進、煩悩を制御したり消したりする能力を上げるための精進です。
幸せな人生のための精進です。
誰でも幸せになりたいでしょう。
たとえば、病気に対する怒りの煩悩(嫌だ・むかつく・悲しい)が心に生じているときは、人生がとても不快です。
病気が治ってなくても、病気以外のことを考えているときは、病気への怒りが消えていて悩みも消えています。
むかつく他人が世の中にいる現実は変わらなくても、その人への怒りを思い出していないときは、その人がいることに関する人生の不快も消えています。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を消すためには悟る必要があり、それは難しい。
しかし、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を忘れている時間を増やして、人生の不快な時間を減らすことは、誰にでもできる。
仏教は、煩悩を消す(悟る)ための方法も、煩悩を制御する(忘れる・一時停止させる)ための方法も、両方を教えてくれます。
質問者からのお礼
【柳原 貫道 先生】
ご回答ありがとうございます。「なぜ、私はここにいるか」という究極の問いへの答え。
それは、とくにこれといった意味はない、いるからいる。以下私の解釈です。
好きに生きる、つまり自由度が高い分その分明確なルールを守らねばならない。自由に
生きるために、「これは絶対やっちゃダメ、これをしなかったら何してもいい」。
「特に意味は、理由はない」なのでそれこそ知恵をつける。自分の生き方くらい、自分で
決めなさい。自分が一番の自分の主人なのだから…
やさしさと厳しさ、両方を兼ね備えている。それが仏教なのかしら。と思いました。
【願誉浄史 先生】
ご回答ありがとうございます。
詳しく申し上げられませんが、もう私の場合は非常にありがたいことに
「あぁ、もうこりゃ生まれ持っちまった頭の体質なんだな。電気信号さんチィーッス!」
と受け入れることができています。
他の面においてはまだまだ山ほどあるので、そっちの方に精進ですね…
【日顕 先生】
ご回答ありがとうございます。
「この世のすべての生き物は、みんな私の子です」
この一文に感激です。昨日は母の日だったので、よくお参りするお寺の観音様にお花を
お供えしてきました。法華経も勉強しようと思います。私にとっては、仏様が両親です。
「良く生きるための教えを総じて」私も共感します。日頃から、色々な方から助けられて
いると感じているので…