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毎日が辛い

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有り難し有り難し 12

私は、自分に良いことなくても、周りの人に幸せなことがあれば、心からおめでたいと喜べる人でありたいです。

以前は、人の幸せを祝福出来ていたのに、今はそれが出来なくなってきました。
何で私はこんなにも上手くいかないのだろう。
という感情から、人の楽しい話しに無理矢理つくった笑顔しかできません。

だからと言って人の不幸を願っているわけではないし、不幸話しをきいて嬉しいわけでもありません。
ただ、心からの笑顔が出せないのが嫌になります。

幸せな人への嫉妬心を持ってしまっている自分が憎い
だから私は、神様に嫌われている
死ねと言われているような毎日です。
せめて、嫉妬心はなくしたい
こんな私を怒って下さい

訳の分からない文ですみません


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そんなに自分を責めないで

ご相談拝読しました。

自分が深く落ち込んでいる時などに、周りの人に幸せについて心からの笑顔が出せないのは致し方ありませんよ。私だってそういう時はそうでした。
それぐらい今は自分の事で一いっぱいいっぱいなのですから、別に人の不幸を願っているわけではないのですし問題ありません。

それを問題化してさらに自分を責めてしまっているのは自分なのです。それは神様があなたを嫌って死ねといってさせていることではないのです。そう思っている自分がいるのです。神のせいにしたくなるほど自分が落ち込んでしまっており、自分で自分を責めている、その事実から目をそらさないようにしましょう。

たしかに、自分に良くないことばかり続くと、神(運命の支配者の意)を責めたくなるような気持ちもわくことでしょう。
しかし物事に良い・悪いがあるわけではありません。起きた物事に自分のモノサシで「良い・悪い」の評価をしている私がいるだけです。

起きる物事は自分が良いと解釈するものばかりであって欲しいし、自分が悪いと解釈する物事が起こったとしても、それによって自分の中に不快な感情が湧かないで欲しいというのは中々の要求であると思います。
いや、誰もがそう望むことではあるので、あなただけでなく私も皆も無意識にそう望んでいるものではありますが、一歩立ち止まって自分の姿を確認してみるといかに自分に都合よく考えているかにハッとします。
その事実は受け止めがたいものがありますが、私が受け止める受け止めないにかかわらずそうなのですから仕方ありません。

ですから、そんなに自分を責めないで。負の感情も排除しようとしないで。

そういう時もあるのです。

神様に嫌われているわけでもありません。人間は自分中心に物事を捉えてしまうのでそのようにも考えるのです。

そこに目覚めましょうというのが仏教のアプローチです。私が私の姿に目覚める所から始まります。
事実に目覚めても私が何か素晴らしい人間に生まれ変わるわけでもありません。何も知らずに迷うのか、知った上で迷うのかの違いです。でもその違いは大きいのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまったこと申し訳ありません。
上手く気持ちを言葉に出来ず、どうお礼を言えば伝わるか考えていました。
まだまだ辛いことが続いています。
またこの場所に頼ってしまうかもしれませんが、自分から逃げずに向き合ってみたいと思います。
やっぱり、上手く言葉にできないですが、感謝の気持ちしかありません。
本当にありがとうございます。

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