優しさ
度々、人から「優しいね」と言われます。
自慢ではなく、それについて悩んでいます。
男女問わず、最初からあまり好きではなかった人に急に接近されたり、最初は良く接していたのに仲良くなったら態度や性格が急変する人がやたらと周りに集まってきます。
全員では無く気の許せる友達も沢山いますが、
会う度に愚痴の受け皿にする人、答えようのない内容の相談を深夜の時間帯に持ちかける人、正直関わりたくないと思っていた子からLINEを追加され、案の定あまり快くない会話をされています。
友人に相談したら、「優し過ぎるから何か悩みを抱えてる人に相談されたり愚痴られたり、嫌な人に軽いノリで近づかれたりするんじゃない?」
と言われました。
そうなのかもしれないとは思いました。
もちろん嫌なことは嫌と伝えていますが、
だからと言って冷たくするのも気が引けますし、
上手な距離の取り方がわかりません。
優しさというものは、結局自分を犠牲にするものになってしまうのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そん時はそん時。
優しくしたかったら優しくすりゃいいし
億劫だったら「ああもう知るかい!そんなの」でいいし
そん時そん時じゃだめなんですかね。
優しさは人の憂いと書きますから、
俗に他人に優しくできて気持ちのいいことなんて実はあんまり無いのかもしれません。
それだけど、冷たくするのも気が引けるって
どういった使命感なのでしょうか。
だってきついでしょう。
ちぇるさんご自身、もうちょっと自分に優しくてもいいのではありませんか。
愚痴をしてくる人、深夜の時間帯に答えようのない人、正直関わりたくない人を
ほっとく自分が許せませんか?
それはそれで自分自身に対して優しくできない心理が働いているようにも思えます。
他人に対して優しくできるかどうかで自分自身を判断しているように聞こえるんですね。
他人はあなたをよく見てらっしゃるのでしょうね。
優しいのではなく
ちぇるさん自身が自分にとことん厳しい人だから、ついつい甘えちゃうのでしょう。
そうはいっても
そこまで含めて全部
ちぇるさんの「良さ」なのかもしれません。
が、、きついだろうなと思います。
『優しさというものは、結局自分を犠牲にするものになってしまうのでしょうか。』
とおっしゃいましたね。そん時そん時でいいんではありませんか?
はじめからちぇるさんは自分を犠牲にしているようにしか思えません。オールタイムで。
そんな一貫性がちぇるさん自身の善いところでもあり
人を惹きつけるところでもあるのでしょう。
でも、そんな一貫性にちぇるさん自身が押しつぶされてしまうのは悲しい。
そんなふうに私は思います。
優しいっていいことです
拝読させて頂きました。
あまり気張らずに、こうでなければならないと決め付けずに、自分を大切にして同じように人を大切になさっていけば良いのではないでしょうか?
いろいろ試行錯誤があるかとは思いますが、それ一つ一つもあなたにとっては大切な経験ですからね。
あせらないでじっくりと人とお付き合いなさりながらあなた自身成長なさっていって下さいね。
あなたがこれからも素晴らしい出会いに恵まれて皆さんと一緒に心身ともにお健やかに成長なさっていかれますようにと心からお祈りさせて頂きます。
優しい、っていいことですからね。どうぞ否定なさらない素直に受け止めて下さいね。