猫が癌で安楽死以外なにもできないと言われました。
10年共に生活している猫が31日から急に食欲がなくなり、後ろ足の力がなくなりました。固形物は消化できず、そのまま吐いてしまいました。その夜には缶詰を開けたらゴロゴロ言いながら喜びました。
1月1日には水しか飲まず、食べませんでした。寝る時には瞼が閉じられないようですが、気持ちよく寝ていました。
2日獣医に連れて行き、癌だと申告されて安楽死以外なにもできないと言われました。その場で決断できず、どの位この子が生きられるでしょうかと聞きましたら分からないと言われました。けれど、このままにしておくと悪くなる一方で安楽死させなければ、非人道的だと言われました。
31日からおトイレに行っていませんでしたけれど、2日の夜に小が、でました。
この子は頑張って起きあがって水を飲み、撫でると時々ゴロゴロといいます。
今は気持ち良さそうに寝ています。餌は食べられませんが、お水を自主的に飲みます。生きようと頑張っているこの子を安楽死ではなく、看取りたいと思うのは非人道的なのでしょうか?
獣医にこのままにしておく事が非人道的だという言葉が引っかかっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人も猫もいつか死ぬ。
看取ってあげてください。
人も猫もいつか死にます。
どうせ死ぬから、命が尽きるのを待っても、今殺しても、一緒。
どうせ死ぬけど、苦しみや辛さに向き合わなきゃいけないけど、最期を看取りたい。
海外のドクターの価値観と日本の坊さんの価値観が必ずしも一致するとは思いません。
また、看取りとなると紫陽花さん一人の個人プレーでなく家族の人とのチームプレーになる部分も予測されます。
人間の場合は苦しみから逃げるため、本人の同意書をとって安楽死の処置がされる国もあるようですね。
だけど猫そっちのけで、人間本位の選択肢を押しつけ、命をコントロールすることが人道的かどうかと言われると僕は分からないです。
ただ、私が伝えたいのは死に際の選択肢よりも、その後のことです。
大切な存在との別れは辛く悲しいものです。
残された人の思いとしては、「悲しい寂しい」という気持ちが強いですが、
自分の気持ちを超えた存在として亡くなる相手を立てるならば、
今まで自分を支えてくれて「ありがとう。」
そういう思いが出てくるのではないでしょうか。
これから先、新たなネコを飼うこともあるかもしれませんが、
たまには同じ時代を生きた猫のために祈る時間を持っていただけると、坊さんとして嬉しいです。
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お返事ありがとうございました。
私とっても1月5日は特別な日になりました。
紫陽花様の猫のことを念じ申し上げます
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今、以前飲んでくれなかった猫用ミルクを与えたらゴロゴロいいながら喜んで飲んでくれました。嬉しくて涙がでてしまいました。
我が家は全員この子に我が家に来た事を感謝して、命が尽きるまで側にいてあげたいと思います。
ご助言ありがとうございます。
おかげ様で少し心が軽くなりました。
この子との時間をより大切にし、過ごしていきたいと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
こちら時間1月5日の朝、5時18分に安らかに永眠いたしました。家族全員で看取る事が出来ました。
合掌