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自殺者への怒りか

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有り難し有り難し 17

先日
面識のない方の自殺を目撃したと
こちらに相談しました
自殺者を理解しようと思ったり
やはり気分が悪くなったり

なぜ?私がこのような目にあうのか

周りは身勝手すぎる
穏やかに暮らすことまで奪う権利が
その自殺者にあるのか?
私がその自殺者に何をした?
お前に私の鬱や希死念慮を再発させる権利がどこにある?ふざけるな

怒りが込み上げ
家で棚を倒し 壁やガラスに家電をぶつけ
泣きながら
これではこちらがおかしくなると叫び

回答に
幸せな悩みと返されたが

何が幸せか?
冗談じゃない

母親は何度説得しても医者に行かず
ようやく連れて行けば末期癌
少しの介護の末に死亡
殴る蹴るを繰り返した人間の下の世話を
親孝行だと美談にする親戚も家族も

見て見ぬふりをしていたことを忘れたのか

残された時間をただ穏やかにと願うのが
こうして他人に害される

それも世の常?

それは私がこの世にそぐわないということなのだ

仏の教えを学んでいない
学のない自分が 一喜一憂して
馬鹿みたいに

私が飛び降りれば済むことなのです
耐えられなければ
耐えられないものが去ればよい


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追記 心の休憩を

今、目の前にないもののことを考えて、嫌な気分になるのは、損です。
心は瞬間瞬間ごとに新しい心。

嫌な気分になるくらいなら、違うことを考えましょう。

自殺者のせいで苦しんでいるのでしょうか?
自殺者のことをくりかえし思いだしている、自分の思考のせいで苦しんでいるのです。

信号待ちの間の短い時間にでも、人は楽しい空想をすることができます。
何を考えてもよい、心の自由時間が、1日のうちに無数にあります。
たった3秒の隙間でもそれです。
3秒間の休憩時間に、楽しいことを考えるか、嫌なことを考えるか?
それを毎日積み重ねていくわけですから、重要なことです。
嫌なことをわざわざ思い出さないという、心のコントロールを練習しましょう。

私も母を癌で亡くしましたが、私は毎日楽しく暮らしています。
わざわざ悲しいことを思いだして、腹を立てて、それでは幸せな気分にはならないでしょう。

予防接種の注射をするとき、痛いのは注射される瞬間だけ。
しかし、小さい子どもは、注射される前にも後にも泣いて怒っています。
痛いときだけ痛がればよい。
痛くないときまで注射のことを考えてたら、不幸な時間が何10倍にもなります。

追記6月8日
私は、あなたを攻撃しているのではありません。あなたの見方のつもりで、どうやったら(どのように物事の考え方を変えたら)日々のストレスを減らせるか、その方法を回答しているつもりです。
あなたが自分自身の考え方を変えようとせず、むしろ、今までどおりの自身の殻を破ろうとしないなら、仕方ありません。
くりかえしますが、私は、あなたを応援するつもりで回答しているのです。
プライドの煩悩や怠けの煩悩は誰にでもあるので、自分の考え方を変えたくない、人から言われたら反発したくなる気持ちは、わかります。
それを、打ち破ることにチャレンジしませんか?

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史さま

お忙しい中 回答をくださりありがとうございます
心が昂り 怒りにまかせたような言葉を連ね
申し訳なく思います

自殺者のことは
思い出しているというか
意図せず鮮明に蘇るのです
目に焼き付くというのでしょうか

理解し難いかもしれませんが
私には 耐え難い出来事です

集合住宅の この家が
唯一 休まる場所でした

母は 私が幼少の頃から 暴力をふるい
ある時は 兄弟のなかで私だけに食事を与えず
隠れて食べ物をさがしては
卑しいと蹴られ 死ねと罵倒する
何故か そうされる子どもでした
両親とも実の親です

母が終末期となったとき
そのような過去や怒りや恨みは忘れ
母の希望にそい
母の自宅で看取ることにしました

私が娘として産まれてきた価値は
母の最期に近いとき
不安や怖さや怒りを露にする相手になれたことだと思っています

ひとつだけ
母の大きな愛を見たきがします

それは
もう モノが食べられる身体ではないのに
1口でも食べて欲しいと願う兄弟たちに
美味しいと言って食べてみせたことです

後で私に 気分が悪いといい
こっそり嘔吐していましたが

美味しい ありがとうと言って食べて
兄弟たちを安心させることが
あの最期の数日の母の愛に思えてなりません

話がそれてしまい申し訳ありません

そのような幼少を過ごし
家や 居場所というものに拘りが強いのかもしれません
やっと手に入れた 安心できる場所
そこに どこからかやって来て死を遂げる場所にされてしまう
ある時は帰宅の時に突然目の前に落ち
凄惨な姿を見てしまいます

自殺者の方をお互いさまと赦す気持ちになれたとき

ゆるされたいと思いました
死を強く意識してしまう状態に戻ったのだと思います

【追記】

前の質問にも
願誉浄史さまから回答いただきましたが

幸せな悩み であるとか
今回も
遺体が鮮明に蘇り苦痛なことを
嫌なことをわざわざ思い出して とか
予防接種のはりのいたみなどと

何故そのようにいわれなければならないのですか
私があなたに なにかしましたか?

耐えられない私がおかしい
嫌なら死ねと言われているようにしか

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ