自殺者への怒りか
先日
面識のない方の自殺を目撃したと
こちらに相談しました
自殺者を理解しようと思ったり
やはり気分が悪くなったり
なぜ?私がこのような目にあうのか
周りは身勝手すぎる
穏やかに暮らすことまで奪う権利が
その自殺者にあるのか?
私がその自殺者に何をした?
お前に私の鬱や希死念慮を再発させる権利がどこにある?ふざけるな
怒りが込み上げ
家で棚を倒し 壁やガラスに家電をぶつけ
泣きながら
これではこちらがおかしくなると叫び
回答に
幸せな悩みと返されたが
何が幸せか?
冗談じゃない
母親は何度説得しても医者に行かず
ようやく連れて行けば末期癌
少しの介護の末に死亡
殴る蹴るを繰り返した人間の下の世話を
親孝行だと美談にする親戚も家族も
見て見ぬふりをしていたことを忘れたのか
残された時間をただ穏やかにと願うのが
こうして他人に害される
それも世の常?
それは私がこの世にそぐわないということなのだ
仏の教えを学んでいない
学のない自分が 一喜一憂して
馬鹿みたいに
私が飛び降りれば済むことなのです
耐えられなければ
耐えられないものが去ればよい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
追記 心の休憩を
今、目の前にないもののことを考えて、嫌な気分になるのは、損です。
心は瞬間瞬間ごとに新しい心。
嫌な気分になるくらいなら、違うことを考えましょう。
自殺者のせいで苦しんでいるのでしょうか?
自殺者のことをくりかえし思いだしている、自分の思考のせいで苦しんでいるのです。
信号待ちの間の短い時間にでも、人は楽しい空想をすることができます。
何を考えてもよい、心の自由時間が、1日のうちに無数にあります。
たった3秒の隙間でもそれです。
3秒間の休憩時間に、楽しいことを考えるか、嫌なことを考えるか?
それを毎日積み重ねていくわけですから、重要なことです。
嫌なことをわざわざ思い出さないという、心のコントロールを練習しましょう。
私も母を癌で亡くしましたが、私は毎日楽しく暮らしています。
わざわざ悲しいことを思いだして、腹を立てて、それでは幸せな気分にはならないでしょう。
予防接種の注射をするとき、痛いのは注射される瞬間だけ。
しかし、小さい子どもは、注射される前にも後にも泣いて怒っています。
痛いときだけ痛がればよい。
痛くないときまで注射のことを考えてたら、不幸な時間が何10倍にもなります。
追記6月8日
私は、あなたを攻撃しているのではありません。あなたの見方のつもりで、どうやったら(どのように物事の考え方を変えたら)日々のストレスを減らせるか、その方法を回答しているつもりです。
あなたが自分自身の考え方を変えようとせず、むしろ、今までどおりの自身の殻を破ろうとしないなら、仕方ありません。
くりかえしますが、私は、あなたを応援するつもりで回答しているのです。
プライドの煩悩や怠けの煩悩は誰にでもあるので、自分の考え方を変えたくない、人から言われたら反発したくなる気持ちは、わかります。
それを、打ち破ることにチャレンジしませんか?
質問者からのお礼
願誉浄史さま
お忙しい中 回答をくださりありがとうございます
心が昂り 怒りにまかせたような言葉を連ね
申し訳なく思います
自殺者のことは
思い出しているというか
意図せず鮮明に蘇るのです
目に焼き付くというのでしょうか
理解し難いかもしれませんが
私には 耐え難い出来事です
集合住宅の この家が
唯一 休まる場所でした
母は 私が幼少の頃から 暴力をふるい
ある時は 兄弟のなかで私だけに食事を与えず
隠れて食べ物をさがしては
卑しいと蹴られ 死ねと罵倒する
何故か そうされる子どもでした
両親とも実の親です
母が終末期となったとき
そのような過去や怒りや恨みは忘れ
母の希望にそい
母の自宅で看取ることにしました
私が娘として産まれてきた価値は
母の最期に近いとき
不安や怖さや怒りを露にする相手になれたことだと思っています
ひとつだけ
母の大きな愛を見たきがします
それは
もう モノが食べられる身体ではないのに
1口でも食べて欲しいと願う兄弟たちに
美味しいと言って食べてみせたことです
後で私に 気分が悪いといい
こっそり嘔吐していましたが
美味しい ありがとうと言って食べて
兄弟たちを安心させることが
あの最期の数日の母の愛に思えてなりません
話がそれてしまい申し訳ありません
そのような幼少を過ごし
家や 居場所というものに拘りが強いのかもしれません
やっと手に入れた 安心できる場所
そこに どこからかやって来て死を遂げる場所にされてしまう
ある時は帰宅の時に突然目の前に落ち
凄惨な姿を見てしまいます
自殺者の方をお互いさまと赦す気持ちになれたとき
ゆるされたいと思いました
死を強く意識してしまう状態に戻ったのだと思います
【追記】
前の質問にも
願誉浄史さまから回答いただきましたが
幸せな悩み であるとか
今回も
遺体が鮮明に蘇り苦痛なことを
嫌なことをわざわざ思い出して とか
予防接種のはりのいたみなどと
何故そのようにいわれなければならないのですか
私があなたに なにかしましたか?
耐えられない私がおかしい
嫌なら死ねと言われているようにしか