心の病への向き合い方とは?病とは?
いつもhasunohaで勉強させていただいています。人間、生きていれば、からだの歪みやホルモンバランスの乱れ、思考の歪みが生じると思います。日々、何らかの形で歪みを矯正すればいいのですが、なかなかできないですよね?病気は、自分を成長させるきっかけを与えてくれると思います。
別の方の問答で、「もしも、もしもと考えてしまう」とあって、約一年前ぐらいまでそうだったなと思います。今は、今までの経験があったから、今の自分があるのだと思えるようになりました。胃腸は不健康ですが、心は健康になってきました。
人と話するときは集中して聞く、音楽を聴くときは耳をすませて聞く、食事をするときは匂いや味を味わい尽くす。今起こっていることに対して敬意を払って接すると、やることが多いなと感じます。でも、幸せな気分になります。
私は言われたことはありませんが、家によっては、食事の時は姿勢を正して集中して食べなさいと言われたところもあるようです。今となっては、その通りだなと思います。
変化が激しい世の中だから、自律神経が追い付かないのだと思います。心身を整える知恵が仏教にはあるのかなと思います。
病気を経ることで、新たなステージにいくことができるのだと思います。今、課題があるんだなと受け止め、これを乗り越えるためには、今できることはと考えることができるようになってからよくなりました。
ちなみに、調子が戻ってきてから、認知行動療法やコミュニケーション、運動療法、グループワークなどを取り入れたデイケアに参加し、かなり寛解しました。自立支援医療などの公的補助も受けられます。途中、自分の嫌なことにも真正面から取り組む暴露法をやって悪いところを全部出したら、精神的に不安定になってお世話になっているカウンセラーに相談したり、数日寝込んだりしました。かなり体力がいるので、体力回復してからがオススメです。これを通りすぎると、自分でも堂々巡りや不安をコントロールできるようになります。デイケアに通う前は本をたくさん読みました。
同じ経験をされている方の参考になればと思います。
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
共に乗り越えていきましょうね
拝読させて頂きました。
あなたが病を受け入れながら乗り越えて成長なさっていらっしゃる姿を読ませて頂きました。
まさにその通りだとうなずかせて頂きました。
おっしゃるとおり変化の激しいこの世の中で追いついていくことがいかに難しいことか至難の業かと思います。
人にはそれぞれに受け入れていく状況や年齢やその時々の状態がありますから無理なさらないことが肝要かと思います。
いずれ誰しもが受け入れていき心も穏やかに成長できると思っています。
そして私たちは共にみんなで一緒に生きていますから共に受け入れながら成長できると思います。
その際も人を受け入れ認めて尊重しながらお互い思いやり助け合っていくことが大切ですし、書くべからざることでしょうからね。
私も病とうまく付き合いながら成長できればと思っています。なかなか難しいですけれどね。
どうか共に乗り越えていきましょうね。
あなたがこれから心も体も穏やかに皆さんと共に健やかにご成長なさっていかれ毎日を円満にお過ごしいただきます様心よりお祈りさせて頂き、心より応援させて頂きますね。
質問者からのお礼
〉Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答、ありがとうございました。
〉人にはそれぞれに受け入れていく状況や年齢やその時々の状態がありますから無理なさらないことが肝要かと思います。
そうですよね。少なくとも今の日本の状況は、「やりたいことを主張してやる」だけで、戦略的に物事を進めるということがないような気がします。個人で言えば、ただ頑張っているというだけで、闇雲に頑張っている場合も称賛されているような気がします。状況や年齢に応じて体のメンテナンスをしなくてはいけません。それを疎かにし、突き進むのは途中で仕事を放り投げる結果にもなりかねません。これだと、誰も得しなくなってしまいます。
〉いずれ誰しもが受け入れていき心も穏やかに成長できると思っています。
そして私たちは共にみんなで一緒に生きていますから共に受け入れながら成長できると思います。
人間、「教える―教えられる」など、主従関係があると、主の方が傲慢になることが多いのかなと思います。人権尊重が大切ですね。