希望と絶望が交互にきて辛いです
家族が病気になり 病院の先生に
早く見つかったので 完治できます。
と言われ ほっとしたのに悪化。
検査の結果、又治療次第で
完治できます。と言われ喜んでいたら
又良くない結果になりと…家族も私も心が疲れ果てました。ご神仏はなぜこのように希望を持たせては突き落としの繰り返しをなさるのでしょうか?
これは試練でしょうか?
よろしくお願い致します。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
願いを叶える救いではなく、わが身の有り様を照らしてくださる。
それは不安になりますよね。医師の言葉は強い力を持ちますから、大丈夫と安心しきってしまうこともあるでしょうが、病というのは何らかの形で身体に反応を与えるのでしょう。完治という期待をどのように受け止めるのか。
神仏は願いを叶えてくれる救いではなく、わが身の有り様を照らしてくださいます。見たくない現実も避けられない命だと気づかせてくださると同時に、どのように心を保てばいいのかを考える生き方へと導いてくださるでしょう。
生老病死は避けられません。病と向き合いながらも、支えられる家族がいること、限りある命をどのように生きるのか向き合ってみましょう。
完治しても、次の心配があるのが、肉体なのでしょうね…。
医師と相談されながら、どのようなことに気をつけながら生活するのが予防になるのか、務めてみましょうね。
どうぞお大事になさってくださいね。
心よりお祈りさせて頂きます
拝読させて頂きました。
ご家族の方が病気になり完治できると診断されて治療なさったらまた再発し、完治できると言われて治療なさったら、また良くない結果となり、あなたも皆さんも大変ショックを受けて疲れ果ててしまったのですね。希望と絶望感を繰り返し神も仏もないと思ってしまうのですね。詳細なあなたやご家族の方のことや病いの状態はわからないですけれども、あなたや皆さんの辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたや皆さんがそう思ってしまうのとてもよくわかります。そうですよねせっかく期待して回復なさったのにまた悪くなって一体全体何を信じればいいのだと思い悩むのも当然だと思います。本当にその様なことが続くと辛くなってしまってどうすればいいかとわからなくなってしまうでしょう。
受け止めることはなかなか難しいと思います。
ご家族の方がしっかりと治療なさりご回復なさいます様に、あなたや皆さんが安心なさって下さいます様に、これからもお互いを思いやり助け合い生きることできます様に、毎日を幸せに生きることできます様に心から仏様や神様や皆さんのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
生きることはとても尊いことですし、皆さんがご縁の中で恵まれて生きることはとても大切です。
その生きることの中に喜びも楽しみも感謝もあります。そして病も老いも死もあります。
ですから改めて共に生きることは尊いものだと思います。
仏様も神様もご先祖様もいつも優しく皆さんのことをお見守りなさっていて下さいます、皆さんのことをお導きなさって下さいます。
どうかあなたも皆さんもお互いを思いやりいたわり合い、かけがえのない時間を命を大切になさって生きて下さいね。至心合掌
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azumaご住職様 中田三恵ご住職様
ご回答有難うございました。教えや考え方を書いていただき
感謝しております。でも今は何と言いますか
疲れ果てていて 生老病死は誰も避けられない事 もっと辛い思いをされている方がおられるなど 分かっていても どうしても心が受け入れられない感じです。
ただまだ希望はあり 治療は続く予定です。なんだか本当に疲れました。
日常ではこういう思いを吐く場所がなく 又こういう悲観的な事を言葉にすること自体が不幸を招きそうで していません。もう少し頑張りたいと思います。
有難うございました。