主人を支えるには回答受付中
今年の3月に主人が『浸潤性粘膜性肺腺癌』と診断されました。合う薬が見つからず、唯一の抗がん剤での治療がはじめられました。
はじめは元気にしていた主人も、回数を重ねてきて、とうとう脱毛がはじまり、胸焼けや食欲不振など、今までより強い副作用に悩まされはじめました。体のだるさもひどいようでずっと横になっています。先ほど寝ている主人の様子を見にいったら、涙を流しながら、「やっぱりそんなに簡単な病気ではなかった。せめて5年は生きたいと思ってるけど、、、」「家のローンのことや保険のこと、頼んだよ」などと言うのです。思わず私も泣いてしまいました。そして、「辛いね、、、一緒にいるから一緒に生きていこう」というしかありませんでした。
明日から職場復帰の予定でしたが、その前日に体調が悪くなったことも、本人のなかでとても悲しい気持ちになったのではないかと思います。
いつもはつらつとしている主人が、こんなに弱気になってしまうとは、、、ガンという病気のおそろしさを目の当たりにして、私も戸惑い、そして、この人と一緒にいられなくなるのでは、という恐怖も感じています。
とても辛い悲しい思いをしている主人をどう支えてあげればいいのだろうか、そして私自身もどう心持ちをしていけばいいのだろうかと悩んでいます。
お坊さんからの回答 2件
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一緒に泣ける人がいるありがたさ
のんちゃさん、はじめまして。質問を拝読しました。
ご主人が『浸潤性粘膜性肺腺癌』に罹患されたのですね。抗がん剤も副作用が強く、心も弱ってきているのですね。
こういうときに一緒に泣いてくれる人がいるだけでご主人はとても心強い思いをされています。
ある檀家さんで五十代半ばでガンを患い、闘病の末に旅立って行った方がいました。ご遺族の奥さまに、「夫は自分の身体が立ちゆかなくなったとき、病院の屋上で2度泣いていた」と回想しておられました。
20代から夫婦が寄り添いながら家庭を築いてこられただけに、夫の心境が手に取るように分かったのでしょう。屋上にて夫婦二人きりで過ごした時間が貴重だったと振り返っておられました。
のんちゃさんが「夫に何もしてあげられない」と感じることは多いと思いますが、一緒に泣いてくれる人がいるだけでいいのです。
できる限る夫婦で一緒に過ごす時間を作ってあげてください。
合掌
「大丈夫」と言えないことが、すでに支えになっています
ご相談くださり、心より感謝申し上げます。
文面を拝見し、ご主人の言葉ににじむ悔しさや恐れ、そしてそれを受け止めようとするあなたの涙に、私も胸が詰まる思いでいっぱいになりました。
がんは、身体だけでなく、心や人との関係、生きる意味そのものにまで深く関わってくる病です。
そして、「支えたいのに、どう支えればよいか分からない」というあなたの悩みは、まさにその真っ只中にいる方の、正直で温かい心の証です。
ご主人が涙ながらに弱音をもらした時、
あなたは「辛いね、一緒にいるから、一緒に生きていこう」と寄り添われました。
その言葉は、何かを解決する魔法の言葉ではありません。でも、ご主人にとって、「わかってくれようとする人がいる」という、救いになっているはずです。
人が一番苦しいのは、「この気持ちを誰にも分かってもらえない」と感じる時です。
あなたが、ご主人の言葉や涙をそのまま受け止めた。それは、最も深い“支え”のあり方です。
「なんとか励まさなきゃ」「気持ちを明るくしなきゃ」そう思われるのは当然です。
けれど、がんという病気の前では、無理に元気づけることが、かえって孤独を生むこともあります。
だから、今は「一緒に不安になる」「一緒に戸惑う」ことを大事にしてほしいのです。
立ち止まっていい。泣いていい。何も言えなくても、手を握るだけでいい。
仏教で「同苦(どうく)」という言葉があります。これは、「共に苦しむこと」。
治療法は見つからなくても、“共に苦しむ"ことは、誰にでもできる“癒し”です。
私も、妻が絨毛癌という病気にかかり2年ほど闘病した事があります。妻の髪も同様に脱毛し、何度か抗がん剤治療をやり直した事があります。その度に、妻の体力が削られ、薬の副作用もひどくなりました。
私も、のんちゃさんと同じで色んな事を考えました。幸いなことに、癌を寛解する事ができ今は経過観察中です。自分は出来る限りの事をしたつもりですが、どれほど役にたったかは分かりません。
退院後に、妻に言われて印象に残った言葉があります。それは、「一緒に苦しんでくれた事が支えになった」の一言です。
のんちゃんさんが、ご主人の心に寄り添う事が何よりの特効薬だと思います。どうか、ご主人との時を大切になさってください。
ご主人の病気が一刻でも早く治る事を願っています。