正しいことと間違っていることとは?
私の両親に、最近、「本を信用するなよ」と言われます。どういう考えでいっているのか分かりませんが、信用するしないではないと思います。ある状況では正解でも、ある状況では不正解になることがあります。
本との関わり方については、親には説明しました。
多くの人が、
本=教科書=知識を身に付ける
というふうに考えているのかなと思います。
本はあくまでも、著者や組織の「考え」を述べたもの。何も考えず鵜呑みにすれば、それは怪しい新興宗教になってしまいます。軸をもって主体的に考えることが大切だと思います。
本を尊重し、主体的になって考えることが、自分の新たな人格を形成することになるのだと思います。そのためには、判断のセンサーとなる「感性」と生体が情報を受けとる「五感」を鍛えることが重要だと自分の経験から感じています。
日本人は、宗教というと否定的な考えが多いかなと感じます。「イスラム教は怖い」と言われていますが、「本当なのか?」と思って、大学の教養課程のとき、イスラム世界の講義を取りました。教え自体は、その地域で生きていく知恵だと思いました。宗教が悪いということではなく、間違った解釈のもと、間違った行動をすることが問題だと考えています。それは、どの宗教や国、会社、組織にもいることです。
「宗教」は、「大学の研究」と何も変わらないという考えに至りました。言葉を表面的にしか捉えていないことが原因かと思いました。立体的、空間的に捉えることが大切だと思いました。
自分で判断し、実行したことについては、自信を持てるようになりました。実は判断するって難しいことだなと思っています。だからといって、自分で判断することを逃げてはいけないなと思います。それでは、AIかそれ以下になってしまいます。相手(人や物など、世の中の全て)に対して尊重し、学びを見いだしていけたらなと思います。
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何らかの影響を受けます。 そういうものですよね。
そうですね〜おっしゃる通りですねぇ。
本を読むと、多くの知識を得ます。
学びも深まります。そして、感じ考えるようになる。
何らかの影響を受けます。
そういうものですよね。
ただ、そこに書かれているものが、全てとは限らない。その通りにすると良い、わけでもない。
学びの材料として、本を読むというのは、大事な時間ですよね。知らない世界に、気付ける。
(私は本に出会えるのを、楽しんでますけれど)
おっしゃる通りだと思います。但し・・・
おっしゃる通りだと思います。但し、それも「あなたのお考え」であって、「正しい」と言い切れないかもしれません。
〈本との関わり方については、親には説明しました〉とのこと・・・。ご両親様は、どうお答えになりましたか?。
ご両親様に「本を信用するなよ」と言われたようですが、「どんな本」を「どんんな風に」言われたのでしょうか?。少なくとも、あなたより人生経験が豊かで、沢山の本も読まれておられる、と思います。そのご両親が「本を信用するなよ」とおっしゃったのですから、何か理由があると思うのですが・・・。
確かに、あなたの言っておられることは「間違いない」です。しかし、それだけに小生は返って「気になります」。
例えば、仏教書などでは「明らかに矛盾」することを言っている場合があります。あるお経には「頑張って修行せよ」と言い、あるお経には「頑張らずにノンビリやりなさい」と書いてあります・・・。何故でしょう?。
そう、話す相手が違うのです。「怠けもの」には「頑張れ!」と言い、「焦り過ぎの者」には「頑張るな!」と説いているのです(❝弓矢や琴❞の譬です。ネットで調べてみて下さい)。
もう一度、ご両親の言われることをシッカリ聞いて、あなたなりに「余裕を持って」考えてみて下さい。その結果、やっぱりあなたが言われるような結論になったら、それこそ「正しい」ものの見方だと思います。合掌
質問者からのお礼
〉中田三恵 様
ご回答、ありがとうございました。
図書館や書店に行くと、目的の本がある時は、そのジャンルのところに行きますが、そうでないときは、ざっと全て見ます。そうすると、一目惚れ的な本との出会いがあります。お持ち帰り(購入)します。本の出会いは、人の出会いと同じですね。
〉大塚 芳明 様
ご回答、ありがとうございました。
私の両親は、新聞以外の本を読むタイプではありませんでした。そのような環境にいたため、大学で一人暮らしするまで、教科書と新聞以外の活字は読みませんでした。大学でだんだん読書量が増えました。両親も、私が実家を離れていた十数年の間にたくさん本を読んだかもしれません。昨年、半年間実家で病気療養していました。時間はあるので、本屋や図書館で本を手に入れ、様々なジャンルの本を読んでいました。「よく本を読むなぁ」と言われました。一緒に半年過ごしていても、一人暮らしする前と変わらなかったので、状況は変わっていないものと思われます。
数ヵ月前、母がパートで仲良くしていた人の話になりました。その人は、職場の多くの人から嫌われていたそうで、かわいそうになって仲良くしていたそうです。高校中退で、結婚、離婚、福祉の申請をするために役所に行けば役所の人に馬鹿にされ・・・。そんな感じで 、六十数年生きてきたそうですが、西洋哲学者の本や宇宙の話など様々な本を読んだそうです。その人の話を聞いて、理解できず、頭が痛くなったそうで、その経験から、「本をたくさん読むと、精神がおかしくなる。知識をたくさん貯めるのはよくない。だから、本を信用するなよ」ということでした。その人は、勉強はたくさんしたと思います。ただ、それを自分なりにまとめ、分かりやすく他人に説明する能力を身に付けていなかったのだろうと思います。全ては母から聞いた内容での解釈ですが。
私は、「本を読んだからおかしくなったのではない。その人の生活史の中で、考え方が歪んでしまった可能性もあり、本が悪いとは言えない。大学では、論文などの検証をしながら、文献を読む訓練をしている。今もその読み方をしている。」というような話をすると、始め興奮していたように話していた母は、最後は勢いがなくなり黙ってしまいました。父はわかりません。物事をうまく説明できる人ではなく、教科書の表面的な内容を話していることしか聞いたことがありません。
私は、一つの事実でも、時間が許せば、いろいろな人の本を読むようにしています。そうすることで、物事が立体的に見えるようになると思うので。
仏教書の矛盾の件、仕事で参考にできそうだなと思いました。ある生徒には、「あまりやり過ぎない方がいい」といい、ある生徒には、「もう少し頑張れ」ということがあります。状況によっては違うということを付け加えればいいのですね。また、それを意識して話しなければいけないなと思いました。