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世の中に疲れました

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有り難し有り難し 16

世の中、不安を煽り、人を商品として見ているのではと思います。

他の世代は分かりませんが、
私と同じ30代かそれより下の世代を見たり、自分の経験から感じたりしたしたことです。

私は私立の中高一貫校で過ごしました。
中学入学当初の学年主任の先生は、
「受け入れた以上、絶対に退学者を出さない」という気持ちでやっていたようです。ところが、周りの先生は、「退学者を出さないと、生徒がだらけてしまう。」、「早めに判断して、公立に行かせた方が生徒のためだ。」というのを耳にしました。ちなみに、西日本は、公立よりも私立の方が進学実績が高いところが多いです。
就活の時に、私立学校も受け、内定を頂きましたが、私が通っていた私立学校と同じ考えで嫌悪感を抱き、公立学校に就職しました。
何だか、生徒を商品として考えているんだなと感じてしまいました。高校の監督が中学校に出向き勧誘したり、大学の監督が高校に出向き勧誘したりするのを見ても、人を商品として見ているのかと思ってしまいます。もちろん、しっかりとした理念を持って教育を行っているところもあります。

最近では、婚活市場も盛んになってきました。私も、独り身で不安に思って、婚活イベントに参加したことがあります。4月から復職を目指していましたが、3月に腸閉塞で入院してしまい、婚活イベントに参加しても相手女性に失礼だと思い、婚活はやっていません。本を読んだり、どこかに行ったり、今しかできないことをやっています。もちろん、結婚相談所や婚活イベントの業者の中にも、しっかりとした理念を持って誠実に対応しているところはあると思います。

親戚のおばさんや母親から、「相手をよく見て選びなさいよ」、「いい人がいたら、パッと掴みなさいよ」と言います。身内だからそういう言い方になるのだと思いますが、どこか人を商品として見ているようで違和感を感じます。私の相手ということは、相手は女性です。同じ女性の立場としてどのように思うのだろうかと思います。
他の男性はどうか分かりませんが、心ある男性なら相手を支えられる自信がなければ、結婚に踏み切らないと思います。結婚はそれだけ重いものだと思いますので、益々踏み切れません。困難があるから、それだけ楽しみもあります。

社会改革するには、人の不安を除かねばなりませんが、嘆いても仕方ないので、自分で自分を認め、輝きたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人を商品として?反対に考えては?

人を商品として見ている?
むしろ反対に、商品には、人のような価値があるのです。
たとえば、お魚屋さんに商品(お魚)がなければ、私達は、自分で川や海に出かけて魚を採るという労力を払う必要があります。
商売の根本は物々交換です。
餅は餅屋と言います。我が家に和菓子職人がいなくても、お店で和菓子を買える。
商品には、職人という人間の価値が込められているのです。

仏教では、一切は苦であると言います。
苦があるから、生きものは、苦が少ない(弱い)方を選ぶ・動くのです。
息を止めるより吐く方が楽なときには、吐きます。息を吐くより吸う方が楽なときには、吸います。
暑いときには涼しい場所へ移動します。
お腹がすいてきたら、安全な住まいや温かい布団からわざわざ出て、食べ物を求めます。
生きものは常に、強い苦と弱い苦とを判断し、取捨選択を繰り返しています。
選択肢がある以上、必ず選択しなければならない。
茶色い靴か黒い靴か2色あっただけでも、選択を迫られます。
選択対象が商品でも他人でも、選びとることが必要です。
選ばざるをえない苦が迫ってくるからです。
それは「当たり前」なのです。
結婚するかしないか、結婚するなら誰と結婚するか、それも選択です。
良い方(苦が少ない方)を選ぶ。
商品として見るとかどうとか言ってられないのです。
選ぶときには、良い方を選びたいのが生きものの習性でしょう。
「当たり前」の出来事に怒らずに、「あるがまま」に受けいれた方が、苦が減ります。
お釈迦様が「苦」を説いたのは、苦がつきものの現実をあるがままに受けいれた方が楽だよ、という意味だと思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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生きること

拝読させて頂きました。今までの人生を送ってこられた中で社会や世の中の流れを感じてあなた自身だいぶ様々不安や疑問が募っていらっしゃるように感じます。
成長していく子供達や人をあたかも商売のネタや儲けの為に扱っていくような風潮はやはりあるでしょうね。学校も競争社会の中で生き残りをかけてあえて子供達を競わせてふるいにかけるようなこともしているかもしれません。
あの大学のスポーツ活動でも人を人として認めないような指導方法があり、指導者が公然と違法な戦略を指示して強制していた姿を見ると本当にこれが人を育てることかと思ってしまいますね。
いつの間にかに人を蹴落とすような非人道な指導や姿勢になってしまっていることは本当に愚かなことかと思います。
おそらくそれは氷山の一角でしかないのかとも思います。
とはいえ誠心誠意子供達を真摯に教育していらっしゃる教育者もいらっしゃるかとは思います。

あなた自身もだいぶ迷われてどうしていいのかわからなくなっていらっしゃるのかと思います。そしてこれから先のことを思うと不安にかられて目標を見失ってしまっていらっしゃるのかと思います。

まずはゆっくりあなた自身が心の疲れを癒してみてはいかがでしょうか。心身ともに疲れ果てていては余計に自分の意思も持つこともできなくなってしまいますし、思うように活動することもできません。
まずは自らを癒しゆっくりと自分の時間を大切になさることも必要かと思います。
そして心身ともに回復なさってみてからできるだけ落ち着いてあなた自身がこれからどう生きていきたいのか、どのような志を持って生きていきたいのか、何をして目標にして生きていきたいのかをじっくりと見つめて頂きたいと思います。
あなた自身の大切な時間であり人生です。同時にあなたに関わる沢山の方々特に沢山の子供達の大切な人生です。
あなたがどのように皆さんと関わり生きていきたいのかをじっくりと考えて頂きたいと思います。
人と人とのご縁は不思議なものです。その交わりの中で様々なものが生まれ沢山の可能性が生まれていきます。

目先のことや利権にとらわれずにあなたにとっても皆さんにとっても本当に大切なことを見つけ育んで頂きたいと切に願います。

そしてあなたがこれから皆さんと本当に心から豊かに幸せに生き抜いていかれ人として成長なさっていかれますようにと切にお祈りさせて頂きます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

〉願誉浄史 様
ご回答、ありがとうございました。
確かに、「商品=人のような価値」がありますね。そして、商品の価値の中には、その商品に関わった人や物の命の価値が含まれているのですね。これは、仏教という話ではなく、経済の基本だと思いました。
苦(ストレス)があるから人間は成長する。人の周りには、様々な強さのストレスがあります。しかし、過剰なストレス(苦)は精神疾患または身体疾患になります。「ストレスをなくすことはできないけど、どう受け入れるかが大事だ」とデイケアで教わりました。どんな苦を選べば自分の成長に繋がるのか、自分の成長にはならないけど、どちらか選ばないといけないとき弱い苦を選ぶ。でも、強い苦の方が学びをもたらすのが大きいと思うので、健康に害しない限り、強い苦を選んだ方がいいのかもしれませんね。その時の自分の状況によるのかもしれませんね。
そもそも、「苦がつきものの現実をありのままに受け入れる」とはどういうことなのでしょうか?感情を排し、ただ「スマホを見ている」ということでしょうか?当然、スマホからの情報によって、感情は動かされますが。
大切な視点、ありがとうございました。

〉Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答、ありがとうございました。
以前は、Kousyo Kuuyo Azuma様がおっしゃる通り、不安や怒り、疑問がありました。しかし、今は不安や怒りはなくなりましたが、疑問を感じることはあります。「5歳児に対する虐待事件」や「東海道新幹線での殺傷事件」など、起こったとき自分はどう身を守るべきか、どうようの事件を起こさないようにするにはどうしたらよいか、いくつか案は考えますが、怒りや不安の感情はなくなりました。ただ、「こうしたらいいのにね」とは思います。怒りや不安の感情は、疲れるだけなので、その感情が沸き起こったとき、その思考の流れを振り返り、「自分はこういうときに怒りをかんじるのね」と見るようになりました。
心は回復しましたが、身が回復していないので、まずは心身の回復が優先ですね。
出会う人には、「それぞれ生活史があり、これからの人生がある」ということを考慮に入れ、いい影響を与えられたらと思います。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ