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努力の意味について

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私は今大学生をしています。
生活を送っている中で努力の意味がよくわからなくなってきてしまいました。

成功を収めるために努力をする。すごくわかります。努力なしでの成功はあり得ません。

しかし成功しなかった場合の努力はどうなのでしょうか?失敗が許されるときの努力は意味があると思います。それを糧に本番で失敗しないようにすればいいのですから。

ですが、例えば浪人をしたのに受験を失敗、単位取得のために勉強したけれど結局取得することができなかった、など失敗が許されなかったときの努力には意味があるのでしょうか?

成功するために努力した。けれど何の結果も残せていない。結果論になってしまいますが、その場合は単なる時間の無駄だったように感じてしまいます。

努力に意味はあるのでしょうか?また失敗が許されないときに失敗してしまったその努力にも意味はあるのでしょうか?回答のほどよろしくお願いいたします。

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

因果応報とご都合主義

「努力は報われない論」というものがありますが、努力は必ず報われます。むしろ、努力と言うに足らないどんなささいな行為であっても必ず報われます。

「因果応報」と言いますが、これは原因に応じて結果と言う報いを受けるということです。結果には必ず原因があり。因を起せば必ず何らかの結果が生じます。水面に石を投じて波紋が広がる様に、何らかの変化・影響があるものです。

つまり、「努力は報われない論」は正確ではなく、「努力は必ず報われるが”思い通り”には報われない(こともある)」がより的を得ているでしょう。問題は「努力」ではなく「思い」にあるということですね。
それこそ自分の「思い通り」の報い(結果)でなければそれを「無駄」と切り捨ててしまうほどに傲慢な「思い」にこそ問題があるのでしょう。

さて、ご質問の主意である「努力の意味」とりわけ「失敗が許されないときに失敗してしまったその努力の意味」についてですが、仏教的に考えるならば努力だろうが何だろうがあらゆる物事に「(実体的な)意味」はありません。

例えば、「あなたのいのちは医者になって病人を救うため」とか「このバナナはお腹をすかせた子を喜ばせるため」とか、不変で固定的な「意味」というものが物事に与えられているなどということはありません。

意味は「ない」からこそ「無限の可能性」があります。「自由」です。

出会う人、受け取る人、時間の経過、その時の気持ち、時代の流れ、ありとあらゆる「縁(条件)」によってそれは変わります。それは縁によって「物事に与えられた意味」が変わるということではありません。
その時の縁によってその「意味」を考える人の「都合」が変わるということです。意味に実体はありませんから悪く言ってしまえばご都合主義、良く言えば本人の受け取り方次第といったところでしょうか。

「失敗してしまったその努力」も後からその人があの時のあれがあったから私は成長したと受け取るならば意味はありますし、「あれを失敗したせいで」などと切り捨てて受け取るならば意味はなくなってしまいます。(その時でも「そのせいにさせてもらえている」という面で意味はあると個人的には感じますが本人は面白くないかもしれません。)

まとめると、努力は報われますし、報われないとするのは人間の思いです。そこに実体的な意味などありませんが受け取り方により意味は無限です。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

自分次第

むか〜しむかし、中国に項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)という2人の男がいました。

項羽は腕っぷしが強く、並外れた戦略家でもあったので若いころから戦で負けたことがありませんでした。その戦績たるや、99戦99連勝だったと言われます。

一方、劉邦は武術はセンスが無く、頭も冴えがなかったため戦をすれば必ず負けていました。その戦績たるや99戦99連敗で、ひどい時には項羽を相手に56万人対3万人の圧倒的有利で負け、味方の戦死者10万人、自分の父や妻まで捕虜に取られるという救いようのない無能無能アンド無能でした。

しかし、劉邦は自分に才能が無いことをよく認め、部下に叱られるとどんなに惨めなことでもよく聞いて反省しました。一方で項羽は勝てば勝つほど自分の才能を驕り、部下の忠告に耳を貸さなくなります。そして敗者に厳しくなり過ぎ、やがて人心は項羽の世を嫌い、劉邦の世を望むようになっていきました。

そして最後の1戦で項羽は無能な劉邦と優秀な武将たちに出し抜かれ、自決します。31歳でした。

努力というのは、成功・失敗という結果ではありません。成功したら成功したなりに、失敗したら失敗したなりによく振り返って教訓を見出すことが努力というものです。それをせずに「時間の無駄だった」と考えるから、今までの時間を自分でドブに投げ棄てたり、成功の珍味を賞味期限切れるまで床の間に飾って腐らせるようなことになるのです。

それを活かすか殺すか、経験値上乗せバフにするか経験値減少デバフにするかはアナタ次第です。成功や失敗それ自体には何の意味もありません。一切皆空です。

犠牲者だしまくった劉邦さんでも漢王朝の初代皇帝になったのです。どんなに後悔したとしても、ふさぎ込んだら損ということです。前向きにとは言いませんが、好き嫌いせず一つ一つ糧にしていきましょう。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

評価を急がない。

努力を考えるまえに、意味の捉え方を考え直しませんか?

人間は自分の思いと違うことに出くわしたり、物事が思い通りに行かず失敗したときに意味があるのか無いのかを考える傾向にあります。

いろいろ悩んでのこのhasunohaでのご質問だったかもしれませんが、少し頭を休めてはみませんか。

意識を頭の中ではなく、胸に手を当ててください。
成功したときの心臓、失敗したときの心臓。
生き死にに関係するくらい脈拍の変化はありますか?

心臓にとって成功や失敗は意味あるものでしょうか?
成功とか失敗で心臓が止まったり動いたりすると大変じゃないですか?

自分を構成しているのは頭の中の思考だけじゃないです。
成功とか努力とか関係なく、与えられた役割を誠実にひたむきにつとめる。
そんな身体もu.n.owenさまの一面です。

不安は誰にでもありますが、悩んで時間をロスするくらいなら目標とする学校のプライバシーポリシーや試験を通じてどんな学生にきてほしいと願っているのか。
推理力を養っていただけるほうがありがたいです。

これから40年、50年後に「若いときはいろいろ悩んだがあのときの経験があとで役にたった」
そう思える人生を過ごしていただけることを念じています。

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僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

意味を探そうがそんなもんありません

拝読いたしました。

あなたは今、大学生です。
すなわち、努力して受験勉強に成功したということですね。

あなたは成功者です。
なのになぜ、成功を喜べないのでしょうか?
せっかく勝ち残ったのに。

それは、次の課題に突き当たったからでしょうか。
また、成功しなくちゃいけない。
どんどん壁が高くなっていきます。

成功って、いつになったら本物の成功なのでしょうかね。

失敗が許されない意味がよく分からないのですが・・・
それは、努力云々ではなく、取り返しのつかない行為をした場合ではありませんか。

ごめんなさい。
単位とか試験とか、そんなやり直せるものではなく。

今朝のニュースで見た、新幹線の事故など。
もう謝っても、そんなことでは済まされない事。

私は空手の選手を長い間してました。
努力し、いくつかの優勝(成功?)の経験もありましたが、最後は自分の子供くらいの年齢の選手に負け、体力の限界・・・・を感じ引退しました。
あなたからすれば、失敗です。

私は最近まで、それでもそれが自分の努力の証、と自己受容していました。

しかし最近、意味などあったのだろうかと思うのです。
なぜなら、今は仏の道という、別の道を歩んでますので、そちらの努力に目一杯です。

もう過去は過去。
今で手一杯。

努力の意味など考える前に、今すべきことを考えて下さい。
結果などあってもなくても、いいのではありませんか?

あなたは受験の成功者です。
そこにどのような意味をお持ちですか?

あなたの代わりに失敗した人がおられるのです。
あなたが合格しなけりゃ、その人が合格していました。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

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