縁なきものは
おかげさまで成人も過ぎ、本人の望む仕事に就いた次男から
「結婚しようと思っている。」と言われました。
「おめでとう!やったね!!」
というところなのですが
その言葉を聞いたとき、一瞬真っ白になりました。
「反対はしないけれど…賛成もできないよ。」
どうにかそう答えると
「…わかってる。ふつう、そうだよね。」と返事がありました。
次男が以前からお付き合いしているお譲さんは
一昨年のお正月には遊びに来たこともありましたが
3,4年前より統合失調症を発症し、入退院を繰り返している方です。
現在は『限りなく良い症状迄落ち着いている』とのことですが
疾患を知った後も隠していた様子から、自分の職業を鑑みても
祝福される要素が極僅かも無いと思ったのでしょう。
病に偏見を持ってはいけないと
頭では理解しているつもりでも、わが子可愛さの心は
ふざけんなよ
なんでよりによってその子なんだよ
妻に刺されて殉職とかマジ無いから!
と叫びだしそうです。
楽しませてもらうだけ、とは当然いかなかった3兄弟の子育て。
授かりものを私たちなりに精一杯、大事に育ててきました。
…本当に可愛かった。
祖母が日頃云っていた「御縁があれば」との言葉を
初めて、違う意味で使えればと思う愚かな母は
どう心持を変えたら楽になれるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝縁は異なもの味なもの❞と言われますが・・・。
小生の親戚にも、結婚前に「自殺未遂」した、非常にデリケートな娘がおりました。色々あったのですが、「縁」あってある方とお見合い結婚しました。結果的に、その方との「相性」が良かったのか、子供も授かり、子育ても順調に進み、今では孫の世話に忙しいようです・・・(笑)。
ご心配は無理もありませんが、ハッキリと病名を告げておられ、治療もされておられるのなら、ここは、ご次男さんのお気持次第かと・・・。精神的な病は「環境の変化」が大きく作用します。
良い方に行くか、悪い方に行くか、予想はできませんが、結果的に「悪い」ようになっても、それを受け入れる「覚悟」を、ご子息が持っておられるかどうかにかかっているのではないでしょうか・・・。
仮に結婚を諦めて、次の「ご縁」が無かったとしたら、返って「後悔」するだけになるかも・・・。
いずれにしろ、仏教では、結婚とは《大海に流木が漂っている。3年に一度水面に浮かび上がるウミガメが偶々、その流木に当たるくらいの確率》と譬えられています。それくらい「不思議な御縁」ということです。
無責任な言い方のようですが、結局、御次男さんのお心一つかと・・・。合掌 南旡阿弥陀仏
質問者からのお礼
ご回答を、有難うございます。…次男の気持ち次第…そうですね。
病のことを知る以前でしたが「付き合っている子がいる。」と馴初めなどを
次男が話してきた折に「好きなの?」と尋ねたことがありました。
「…半分は情、かな。」
その答えが気になったのは、少し置いた『間』の奥にある
次男の躊躇いを感じたからでした。
「神社仏閣巡りを好む自分に合う子がなかなか居ない。」とも。
普段より仕事での失敗から面白い出来事等、色々なことを
話せているので、その時はフランクに
「ま、せいぜい悩みたまえ。そして、きみにとってのいい女を選ぶのじゃ。」と
笑って、あとはいつもと変わらない事を話しました。
数年後、初めて病名と、思わしくない病状を聞いた時
「人さまのお子さんを仕事で見るだけなのね。」
思わず私がこぼした言葉に次男は
「母、すまないね…。」と言いました。
思えばあの時から
彼の『覚悟』は出来ていたのだろうと思います。
結果がどうなるにせよ
次男の気持ちも覚悟も決まっている。
ならばせめて、
次男を追い詰めるようなことだけはするまい。
親として、
必要とはされないかも知れませんが、
最後の逃げ道は開けておこう。
お答えを頂いて私も、わたしなりに覚悟を決めました。
ありがとうございます。