祖母が亡くなった日のこと
こんにちは。
今日は父方の祖母のことについて聞いていただきたいことがあります。
祖母が亡くなって25年程になります。
祖母は信心深い人で、近所の薬師堂に朝夕おまいりするのが日課でした。
私も小さい頃は一緒におまいりしていたとこもありました。
家のお仏壇にも毎日手をあわせて読経をあげていました。
とても優しくて声を荒げない人でした。
そんな祖母も病気を患い、入院することとなりました。
私は当時社会人二年生で、なかなか会社に馴染めずにいて、お見舞いに行くのは金曜日の帰宅時とか土日の休みの日くらいでした。
祖母が眠ったままになる前、最後にお見舞いにいった帰り、祖母は階段の上から私が帰るのをずっと見送ってくれました。
「もういいから、病室戻って?」
と言ったとは思うのですが、ずっと見ていてくれました。
そしてその後、祖母は眠ったままになりました。
眠ってあまり日にちも過ぎずに他界しました。
それは土曜日の早朝。父は長距離運転手をしていたので遠方。家にいた他の家族はまだ寝ていました。
病院からの電話で、母と二人でかけつけた時には、すでに息を引き取っていました。
何回目かの法事の時、叔母から不思議な話を聞きました。
「私がお見舞いに行ったらね、指を折りながら何かを数えていたのよ。きっとおばあちゃんは、誰も会社や学校を休まなくてもいい日を選んで亡くなったんだよ」
そうなんです、お通夜は土曜日、葬儀は日曜日、四十九日も休日でした。一回忌ももしかしたら、休日だったかもしれません。
この話を聞いた時、うちのおばあちゃんだったら、そのくらいのこと考えていたかもしれないと思いました。
私が帰っていくのをずっと見ていてくれたのも、きっと自分の死期を悟っていたからなのかもしれません。
ただ悔いが残っているのは、亡くなる前日の金曜日、仕事帰りにお見舞いに寄ろうかどうしようか迷って、結局寄らなかったのです。
「明日行けばいい」
そう思って。
それと祖母は誰にも看取られず、一人で旅立ったことをどう思っていたのでしょう。もう少し待っていてくれれば、という思いと反対に、自分の最期の姿を見せたくなかった祖母の優しさだったのかもしれないとも思うのです。
祖母は今、仏様のおそばで穏やかにしているのでしょうか。苦労の多かった人なので、穏やかだといいと思います。
長文失礼しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
教えを生かすのが後世の役目
あなたが、おばあさまの死に目に会えなかったのを後悔するのならば、人生において何事も、二度と先延ばしにせぬようにすることが肝要です。
事の大小関係なく、不愉快な思いをさせられた側が望むことは、損害の補償と再発防止です。
そのように思慮深いおばあさまがあなたに、
『「明日しよう」と思えば後悔するよ』と重大な教訓を遺されたのです。
もちろん、不愉快というのは物のたとえ。
親族一同が集った立派な法事を務めてもらったおばあさまは絶対に恨んではおらぬと断言できますが。
いつでもお祖母様は
拝読させて頂きました。そうですね、お祖母様はいつも正しい信仰を持たれてご家族の皆さんを思いやりその人生を全うなさったのですね。そして今も仏様の元で心穏やかに皆さんをいついかなる時も優しく見守っていて下さってくださっていることでしょう。
きっとお亡くなりなるのも皆さんを思いやっておられたことでしょうね。
あなたがそのようにお感じなることはあるでしょう、もう少しこうしておけばよかったああしてあげたかった
そう思うのが常です。
あなたがそう思うならばそのお気持ちをそのままお祖母様に手を合わせてお伝えなさってくださいね。
お祖母様はあなたの思いをありのまま受け入れて下さいます。そしてあなたがお祖母様を思うことを心からよろこんでくださることでしょう。
どうかこれからも毎日お祖母様を思い手を合わせて真心こめてご供養なさって下さいね。
いつもお祖母様はあなたやご家族の皆さんを支え寄り添い守っていてくださいますからね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
祖母の死が「当たり前に続く毎日はない」ということを教えてくれました。
「あの時ああしてれば」という自責の念というのも知りました。
仏様に手をあわせること、優しさ、寡黙さ、穏やかさ、そういうことも祖母が見せていたように、今は思います。
もっと優しくすれば良かった、との後悔もあるので、これからはまだ元気な両親に、その気持ちを返していきます。
ずっとどなたかに話したかったことなので、このような場があり、大変感謝しております。
ありがとうござました。