認知症の母と、この度急死した父の供養について
この大晦日に父が急死しました。
両親は、認知症がありました。
子どもである私と兄は他県に住んでおり、実家の両親は認知症同士でなんとか生活が成り立っている感じでした。
大晦日の日、私が実家に帰省すると、父はコタツの中で虫の息状態で、母はその隣で、何事もなかったかのようにミカンをむいておりました。慌てて救急車を呼びましたが、父は病院に着くまでに息を引き取りました。
母は、死にかけている父のことをまともに認識できないほど、認知症がひどくなっていたのかとすごくショックを受けました。
葬儀は、家族とごく近い親戚のみでとりおこないました。
母は、父が死んだことをすぐ忘れてしまうので、葬儀の間もずっと父を探しておりました。
父の死があまりに急だったため、認知症の母を一人実家に置いておくことはできないので、母は急きょ、施設に入ることとなりました。
施設入所は、母の本位ではなかったため、母はかなり不安定となり、父の四十九日の法要には、精神状態を考慮し、施設の方の助言で参列させませんでした。
4月に父の納骨をしましたが、それにも母は、参加しておりません。
生前、父は、母がいないと何もできない人で、母に頼り切って生活をしておりましたので、二人はいつも一緒でした。
上にあげたような事情で、母が、父の法要や、お墓参りに行っていないことがすごく気になっております。父はあの世で、母が来るのを待っているのではないか…。
ただ、最近、少しずつ新しい生活に慣れて、落ち着いてきている母の精神状態を乱すのでは…と、あえて父の死にふれておりません。
ちなみに、父は、仕事が船員だったため、仕事に出ると何か月も家を空けていたので、家族、施設の方も母が「お父さんはどこ?」と聞かれると「お父さんは、船に乗っているよ…。」といってなだめている状態です。
父が亡くなったと母に話しても、その瞬間は、取り乱して、悲しむと思いますが、次の瞬間には忘れてしまうので、母のためを思うと今のまま、父は仕事に行っていることにしたほうがいいとは思います。
ただ、亡くなった父のことを考えると、最愛の母のことを待っているような気がして不憫です。
父は、あの世から、今の母の置かれている状況を見守っていて、現状を理解してくれいるのでしょうか?
このまま、法要、お墓参りをさせなくても良いものかアドバイスたまわりたく思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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倶会一処
拝読いたしました。
まずはお悔やみ申し上げます。
瀕死のお父様を目にされた時、またお母様の変わりようを目の当たりにし、さぞかし衝撃を受けられたことでしょう。
悲しくもありますが、どう接すればいいのか迷いが生じます。
お母様が、お父様の死を認識できていない事、また事情もあり、法要などに参加させられない事。
父を探す母の姿。
どのように解決していけばいいのでしょうね。
お父様は、妻がいないと何もできない人。
あちらでどんな気持ちでおられるかと思うと心配になります。
奥さんが「墓に、法事にこないぞ」と不安になられているのではないかと。
でも、お父様は仏の国へ旅立たれました。
あとは、仏さまにすべてお任せしてください。
あなたも不安でしょうが、それはあなたの解釈です。
仏の国の事はむしろ考えずとも、お任せすればよいのではないでしょうか。
お父様の願いは、子供たちが自分の事は気にせず、もとの生活に早く戻ってもらうことです。
また、妻には平穏に生きて欲しい。
もう、自分は救われているから、平穏にいてほしい。
そう願っておられるのみです。
今現在、お父様は亡くなられ、お母様は弱っておられます。
子として、あまりにも急に、衝撃的な現実で、心配になる気持ちの方が先立ちますが・・・
だからこそ、ご両親に感謝の気持ちを、改めてお持ちいただきたいと思うのです。
それこそが親孝行。
法要・お墓参り、お母様が行くに越したことはありませんが・・・
その前に、お母様の気持ちを取り乱し、あなたたちの生活を脅かしてまで、行う必要はありません。
お父様はもう仏に救われています。
倶会一処という言葉があります。
この世でご縁のある者同士、極楽浄土でまた巡り合えるという意味です。
今を急がなくとも、いずれまた時が満ちれば、ご一緒になられます。