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物が痛んだり消耗することが悲しいです

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先日自分のお茶碗を割ってしまいました。昔から使っていて形、手触り、大きさが大好きでした。
その日はすごく落ち込んでしまいました。

同じように大好きなマフラーとコートもあります。
本当は毎日着たいのですが痛むのが嫌で着たい気持ちを抑えています。

思えば昔からこだわりの強い子供だった気がします。

この世に形が変わらないものはないと頭ではわかっているのですが、心で受け入れることが難しいです。

執着から離れられる意識の持ち方など、教えていただけませんでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

発想を「逆転」してみたら・・・。

物を大切にする・・・素晴らしい事です。蓮如上人という方は、廊下にチリ紙が落ちていた時、それを拾って「仏法物を粗末にするかや(仏様のものを粗末にするとは嘆かわしい)」と額に押し頂いたとか・・・。昔の人は、本当にものを大事にしました。現代は「使い捨て時代」とかで、物を大切にしません。悲しい事です・・・。
さはさりながら、貴君の様に〈本当は毎日着たいのですが痛むのが嫌で着たい気持ちを抑えています〉と言って、「大切にし過ぎる」のはどうでしょう・・・。
逆に〈マフラーとコート〉の気持になってみましょう・・・。「大事にしてくれるのは嬉しいけれど、飾ったままで使ってくれない・・・悲しいな~」と言っているのでは?。
本来、どんなものにも「役割り・働き」があります。それを十分に発揮させるのが「本当にものを大切にする」ということです。
マフラーやコートは寒さをしのいだり、中の服を保護したりするものではないでしょうか。寒かったり、雨が降ったりした時はドシドシ使ってあげる・・・それこそ「喜んで」くれる事になると思います。
要するに、ものには「限度」があります。それをよく考えながら、使う・・・それが「執着」を離れていることになるのではないでしょうか・・・。合掌 南旡阿弥陀仏

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