お願いします、逃げ癖から助けてください
現在高校生の者です。
自分には「逃げ癖」があります。
怖いと感じたり、何らかの失敗を犯してしまうと、すぐにあの手この手で逃げてしまうのです。
今回、学校の活動のグループ(イベントでダンスをする)の練習の場所を間違えてしまい、探し回る間に集合時間が過ぎてしまいました。
練習場所の扉から聞こえてくる掛け声や話し声に気圧され、入れないまま家へ帰ってしまいました。
途中廊下で足音が聞こえたら反射的に隠れたり、知り合いに会った際には嘘で誤魔化し、顔見知りに見られ、醜い有様でした。
帰宅中にも動機や汗や胃痛が収まらず、家でもずっと不安で何も手につかず、吐き気に襲われ、また逃げるように眠ろうにも眠れず、何も考えられない状態ながらもこちらのサイトを見つけるに至りました。
実は2年ほど前、中学3年生で受験生の身にあった自分は、プレッシャーやコンプレックスが積み重なって不登校が続いていました。
建物の目の前で逃げる、友人には平気で嘘をつき、家にいるのが怖すぎる状況......思い返せば思い返すほどに、今回の状況が「2年前の再来」だと感じます。結局勉強に手がつかないまま第一志望に落ちました。
それでも残りの中学生活と今までの高校生活を心から楽しんで歩んで来たにも関わらず、「何も治っていなかった」のです。2年前から。同じ、同じことがまた起きているんです。治ったと、もう強くなったと勘違いをしていました。何も治っていなかったのです。今ここにいる俺はあの頃の俺から一歩たりとも成長できていないのです。
2年前、不登校中に苦しみ抜いた経験、結局なにも得るものがなかった後悔、希死念慮と自殺願望に追われ自傷行為と自殺未遂を繰り返した記憶。フラッシュバックしてくるのです。
もしかして、またあの日々を過ごすのか?せっかくの沢山の友達も先輩も得られた地位や信頼、すべて消えて、あの地獄の果てに虚しさ「だけ」残る日々が始まってしまうのではないか。
今回の遅刻は「引き金」だったのではないか
文字を打つだけで、恐怖が自身の指を震えさせます。高鳴る鼓動と荒い息遣いを感じながら、ベッドから動くことすらできません。
どうすればこの逃げ癖から救われるのですか?どうすればいいのですか?どうしてあの時俺は練習室のドアを開けなかったのですか?
お願いします、助けてください。辛いです。お願いします。お願いします。
人が怖い 失敗が怖い 顔を見られたくない 身体を見られたくない 頑張りたくない 顔が嫌だ
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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『逃げる』意味。
私が信じていることを少しお話しさせていただいてもよろしいですか?
本当に「逃げている人間」とは、「逃げていることに向き合わない人」のことだと思います。
ある意味で人はたぶん誰しも逃げて生きている。
だからといってそれで良しというわけではありません。
(悪いというわけでもありませんが。。)
とことん向き合った果てに見えるもの。
そのひとつが「恐怖への理解」でしょう。
簡単ではありません。
でも自分が何に対して恐怖しているのかが見えてくるだけでも
おのずとやるべきこと、信じたいことというのが感じられてくるのだと
私は信じています。
それしか次の一歩を踏み出すすべはない。そうとまで思います。
私もまだ怖い。
逃げているのが自分でもわかります。
でも逃げていることを「見ないふり」していたら
次の一歩がそのうち踏み出せなくなるだろうと思うのです。
自分を許せなくなるからです。
おおださんはいかがでしょうか。
「見ないふり」していると思いますか?
「見ないふり」していたら、質問のような言葉は出てこないはずです。
もう一度投稿内容を振り返ってみてください。
とことん向き合っていらっしゃるでしょう。
(ずっと投稿し続けろという意味ではなく。)
しかしそれでいいのだと思います。
あなたはじゅうぶん助かっていると思います。
逃げていることに鈍感なまま練習室のドアを開けるよりずっといい。
そう感じたとき
開かずのドアを自然と得心がいって開けられる時が来ます。
これを私は仏教の言葉で『摂受(しょうじゅ)』と呼んでいます。
きっとおおださんを支えてくれるはずです。
ドアが開いたら「逃げる」ことだけでなく
「追いかける」ことにも存分に注力してください。
きっと「逃げる」ことの意味が変わってくると思います。
そう願っています。