私のこれからについて。
最近、自分の人生を振り返る機会があり
今までの愚行を理解しました。
私はとても嫉妬深く、欲深く、怒りやすく、自分勝手で平気で嘘をついてしまう人間です。
その性格のせいで恋人や友人、またそれ以外の人々にもさまざまな迷惑をかけてしまいました。
改めて自分を見つめ直した時に自分はなんて醜いのだろうと思い今では自分が許せなくて大っ嫌いです。
こんなは私でも禁欲をして人の為になることをして、今までの行いを反省し続ければいつかは清く正しい存在になれるでしょうか。
また、これから私はどう生きればいいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが本当に願い望むように
あなたが本当に望むように生きようとしてみてください。
あなたがやりたいことを探してみてくささい。
あなたが生きたいように生きていいのです。
今回、あなたは機会を得て、「嫉妬深く、欲深く、怒りやすく、自分勝手で平気で嘘をついてしまう人間」であった自分は醜いと気づかれたのですね。
そしてその自分が多くの方に迷惑をかけてきたことにも目が向いたのですね。
あなたが今ここにいるという事は迷惑をかけながらも許されてここにいるということです。
あなたも誰かを許してみましょう。認めてみましょう。嫉妬や欲に溺れることや、自分勝手に振舞う事、平気で嘘をつくことを慎んでみましょう。
あなたはもうそのように振舞うことはあなたの本当の願いではないと気づいたのだから。
それでもきっと…
私たちは気づきながらでも「わかっちゃいるけどやめられない」と甘える瞬間がある。「今回だけ」と自分の都合を優先する場合もある。いくら反省しても清く正しいどころかどこまでも汚くおぞましく傲慢な私に嫌気がさすこともある。
それでもそんな私たちの目を覚まし続けようとする「はたらき」があります。あなたが今回得た機会がそれです。
あなたからしたら自分の力で自分の人生を振り返る機会を持ったと思うかもしれない。自分の心がキレイになったからそんなことを考えついたのだと思うかもしれない。
でもそれはそうではない。
私たちには起こるはずもない目覚めをその機会を通していただいたのです。
浄土真宗ではその目覚めを私たちに起こしてくれる「はたらき」を「阿弥陀(あみだ)」や「浄土(じょうど)」と称し讃えます。
一度そのはたらきにあったならばもう「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とお念仏をとなえるたびにそのはたらきが私を包みます。
阿弥陀様は
「私はあなたがどんなに汚かろうがそれを理由にあなたを除け者にするなんてことはしない。私はいつでも・どこでも・誰でも救う、つまりあなたを救う。私はそう願っている。ところであなた自身はどう願っている?あなたは本当にそのままでいいのですか?」
と私にはたらきかけます。
だからこそ私は清く正しくなんかなかろうと、その私の身の事実に深く頷きながら生きていけるのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
これからは自分の汚い部分を改めて、
また、誰かを許し生きていこうと思います