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人生とはどう考えるのが気楽になるのですか?

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人生とは?と聞かれたらどう答えますか?

こちら40代男性ですが、この年代になるとある程度親しい人が亡くなったりすることがあり人生について考えることが非常に増えました。

先日も年の近い人が急に亡くなり何とも複雑な心境です。

人間ですから死ぬことは避けられませんがどう考えていけば良いか分からなくなってしまいました。

目の前のことを楽しめば良いという人もいますが時々虚しくなります。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死は私の「終着点」ではありません。

 『人間ですから死ぬことは避けられません』…本当にそうなんですよね。
 この死をどう受け止めるかです。「死んだら全てお終い」「死は私の最終地点であり、そこで生は断ち切られる」…そう受け止めるならば、死が怖くて仕方なくなります。恐怖に苛まされ続けるか、あるいはもう全く死を考えないようにして死を無視して、『目の前のことを楽しめば…という思い』で生きるしかありません。
 ただ事実としては、私達生きている人間には死後のことはわかりません。全ての終わりだなんて断定は出来ないのです。
 そんな私に阿弥陀という仏は「仏のいのち」を約束して下さいました。「永遠のいのち」「苦悩から解放されたいのち」を私に誓って下さったのです。
 このことを受け入れられたなら、「死が私の終着点でなく、仏のいのちへの『通過点』」となっていきます。
 その時に、死を受け入れることが出来る…そうでなくても 最低限、死を受け入れやすくなります。
 私に死の恐怖を起こさしめているのは、唯一つ「我が心」です。
 その心(=煩悩)を手放すことを説くのが仏教です。
 「ただ、手放せ」と言っても聞く耳を持たない私に、仏は浄土の仏のいのちを約束することで、私に「死の恐怖への執着」を離れる道筋へと導いて下さっているのです。
 そして、私に死の恐怖を離れさせることが自死への壁を取り払うようなことはなく、このままの我が生を受け入れ、全う出来る方向へと私を導くのです。
 これが仏法の不思議であり、仏教が「智慧」の教えといわれる由縁です。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

参考にさせて頂きます。

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