お坊さんへの相談が殺到しており、質問受付数を制限中です。

回答が追いついておりません。今を生きる人のために仏教の智慧を伝えてくれる僧侶の方を募集中です。

人生とはどう考えるのが気楽になるのですか?

人生とは?と聞かれたらどう答えますか?

こちら40代男性ですが、この年代になるとある程度親しい人が亡くなったりすることがあり人生について考えることが非常に増えました。

先日も年の近い人が急に亡くなり何とも複雑な心境です。

人間ですから死ぬことは避けられませんがどう考えていけば良いか分からなくなってしまいました。

目の前のことを楽しめば良いという人もいますが時々虚しくなります。

生きる意味
有り難し 17
回答 2

質問投稿日: 2018年7月1日 22:01

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

私たちには出来る事がある。

ご質問を拝読させて頂きました。
お釈迦様ご自身も王子として、この世のありとあらゆる楽を享受して暮らしていましたが、どれだけ楽しく暮らしても、老い、病になり、死にゆく事実に気付いたとき、とてつもない虚しさを感じられました。
この世の楽は「かりそめ」に過ぎないと感じられた事でしょう。
そこから、
この世は苦(一切皆苦)であり、
常なるものなど無く(諸行無常)、
不滅な私などというものは無い(諸法無我)
と悟りました。

これだけを見れば人生に絶望して終わってしまいますが、お釈迦様が素晴らしいところはそこで終わらなかった事です。
「確かにこの世は苦であるが、その苦を減らす事が出来る。」
と主張して、説かれました。
これは有名な「四諦」という教えです。

私たちの人生は自分にとってネガティブな事が沢山起こります。
老病死という生物的な苦から、仕事での失敗や友人関係での諍い、愛する者との別離など社会的な苦まで様々です。
そのネガティブな事に対して、ただ落ち込み悲観するだけなら、私たちの人生は絶望です。
けれども、そんなネガティブな中でも出来る事を見つけて実践していくポジティブな働きが出来れば、人生は決して絶望ではありません。

2ヶ月前

死は私の「終着点」ではありません。

 『人間ですから死ぬことは避けられません』…本当にそうなんですよね。
 この死をどう受け止めるかです。「死んだら全てお終い」「死は私の最終地点であり、そこで生は断ち切られる」…そう受け止めるならば、死が怖くて仕方なくなります。恐怖に苛まされ続けるか、あるいはもう全く死を考えないようにして死を無視して、『目の前のことを楽しめば…という思い』で生きるしかありません。
 ただ事実としては、私達生きている人間には死後のことはわかりません。全ての終わりだなんて断定は出来ないのです。
 そんな私に阿弥陀という仏は「仏のいのち」を約束して下さいました。「永遠のいのち」「苦悩から解放されたいのち」を私に誓って下さったのです。
 このことを受け入れられたなら、「死が私の終着点でなく、仏のいのちへの『通過点』」となっていきます。
 その時に、死を受け入れることが出来る…そうでなくても 最低限、死を受け入れやすくなります。
 私に死の恐怖を起こさしめているのは、唯一つ「我が心」です。
 その心(=煩悩)を手放すことを説くのが仏教です。
 「ただ、手放せ」と言っても聞く耳を持たない私に、仏は浄土の仏のいのちを約束することで、私に「死の恐怖への執着」を離れる道筋へと導いて下さっているのです。
 そして、私に死の恐怖を離れさせることが自死への壁を取り払うようなことはなく、このままの我が生を受け入れ、全う出来る方向へと私を導くのです。
 これが仏法の不思議であり、仏教が「智慧」の教えといわれる由縁です。

2ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

回答ありがとうございます。

参考にさせて頂きます。

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