公務員を目指していましたが、試験の結果がダメで民間の就活をはじめました。
民間企業に興味が出ません。
だけど書かなきゃいけないエントリーシート、2枚も3枚も志望理由や頑張ったことを書いて
適性検査SPIを受けて
面接を2、3回も受けて
そこまでしてやっと内定がもらえる…。
先が長い
終わる気がしません
今日学校の就職課で就活の軸がなくちゃダメと言われました。
ありません
それが私の本当の答えです。
いくら売り手市場で企業を選べるからといっても良い会社はなくなってしまう。
もう去年から就活は始まっていたし、
新卒という特権を早く上手く使わなくては、
一生に一度しかないこの特権を上手く使わなくてはと思っています。
しかし、実際はそう思えば思うほど、心に重く就活が嫌になり、
自殺をしようと思う就活生の気持ちがよくわかります。
もっと適当にやればラクになれるのか
いつになれば終わるのか…
就職したとしても結局やめて他の会社に行くのだろうか
なんだか暗い考えで心がいっぱいです。
私は院生なので、今働いている同期のみんなが乗り越えたようにしなければと思うのですが、
頭も心も重いのです。
頑張らなくちゃと思うと、なぜだか悲しくなり辛いです。
みんなはなぜ就活を頑張れるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんばんは!
都内のお寺で勤めているものです。2年前、就活ではありませんが、自分も同じようなことをしていました。
2年前、僕は浪人生をしていました。4年制大学を卒業した後、もうひとつ種類がまったく違う大学を出たいと思い、受験することに決めました。辛い時期でした。周りはバリバリ働いているなか、自分はこんなに長いモラトリアムをとっていいものか そんな負い目がありました。
しかし、色々考えているうちに、ふと思いました。自分は一体誰の人生を生きているのだろう?いつも周りの言葉や周りの人たちのことばっかが気になって 、本当の意味で自分の人生を主体的に送れているのかと疑問に思いました。
自分の本当にやりたいことは何だろう?そう自問自答する日々が続きました。そして、たどり着いたのは、お釈迦様のそばで働いてみたい!ということでした。お寺にどんな世界が広がっているか見てみたかったですし、何より仏教が好きでした。
しかし、お寺の求人なんてどこにも出ていません。でもあきらめるのは嫌でした。そこで都内のお寺一つ一つに片っ端から電話をかけて自分を売り込もうと考えました。もしかしたら、どこもオッケーが出ないかもしれない。だけど、自分の力でやれるとこまでやってみよう。話はそれからだと思い、電話をかけまくりました。そして、何度も断られる中、オッケーをもらえたのが、今勤めているお寺です。
浪人生だったころは、大学に入ることが全てだと考えていました。それしか見えていませんでした。でも実際考えて、行動してみたら、そんなこと全然なく、色々な選択肢があることに気づきました。
そんなふうにして、勤めているお寺も今年で辞めようと思います。お寺がどんなところかだいたいわかりましたし、また違う景色をみてみたいからです。
高校生の英語の先生がこんなことを言っていました。「日本では安定した人生がよいものとされるが、アメリカでは転がる石のように色々な経験をした人生がよいものとされる」と
どうしても、就活ばかりしていると考えが、狭くなってしまいがちですが、道は一つではないと思います。日本とアメリカですら、こんなに価値観が違います。
結局のところ、どんな人生を送るかはみなとさん次第です。
こんな考え方もあるのだと参考までに読んで頂けたら、幸いです。