私の焦りは変態的欲求から来ているのではないか
常日頃から焦りやすい人間です。物事がうまくいかなかったとき、或いは私に関係ある人が困っていると、それに対する私の本来の責任関係なしに「こうなっているのはすべて私の責任だ」「早くうまくやれるようにならなくてはいけない。私が動かなくてはいけない」「みんなはもっとうまくやっている。うまくやれない自分は死ねばいい」などと考えてしまいます。
冷静に考えればそこまで思う必要のない事でもです。問題を解決するに焦らなくてもいい、或いは私が焦っても問題を解決する能力がないにも関わらずです。他人にもそう言われているにも関わらずです。
それでも焦り、時にはそこから自分の腕を引っかいたり頬を殴るなどしてしまいます。
一方でそんな焦りを冷静に見ている自分もいます。
焦りばかりの自分は合理的ではなく、落ち着けばいいのにと思います。
心の中で冷静でありながら、焦りがなかなか改善しない理由。
もしかしてこれは私が変態だからなのではないでしょうか。
焦る事で肉体的・精神的に自分の体を痛めつけ、更にそれを他者に見せる事で、マゾヒスティックな行為を露出する事で興奮している変態なのではないでしょうか。
こう思ってしまった事もそうですが、それを他者に話して「そんなことないよ」という言葉が欲しい・今このように相談して否定して欲しいという、言い換えれば他者を使ってオナニーがしたいとも心の片隅で思っている自分にも自己嫌悪が湧きます。
こんな自分なんて、と思うとまた焦りが湧いてきます。
自分が変態であってもなくても心がぐちゃぐちゃして苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いつかは冷めるもの
拝読させて頂きました。あなたが思うように自分に何でも関連付けてしまい自分のせいでそうなってしまうという気持ちがわかないわけではありませんけれどもやはりそれは自意識過剰でしょうね。あなたがその自意識をエスカレートさせて自己満足を得ているならばやはりちょっとまずいように思います。そのような意識を持っていると本当に大切なことも見失ってしまったり、自分自身の冷静に考えることもできなくなってしまいますからね。
あなたは自意識の中でどんどん幻想を抱いていくようになってしまうでしょうからね。
人生生きている中ではそのような意識を持ってしまうこともあるかとは思います。それが全て悪い訳ではないかとは思いますけれどもやはり限度はあるでしょうね。
現実と幻想の区別がつかなくなってしまいますからね。
どうぞ先ずは自分を追い込まずに心穏やかに落ち着いて見つめなおしてみてくださいね。そして心身ともに安定してバランスを取ってください。
幻想や刺激はいつかは冷めるものですからね。どんなに追い求めてもいつかは冷めるものです。
あなたがこれから心穏やかに心身ともにバランスを取ってお健やかにご生活なさっていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
そういう時もありますからあわてないことですね。気にしすぎないことだと思います。
真実を見極める
いまあなたがここで話したことは全て思ったこと。思っているだけ。そんなに大切ですか?気持ち、思考、思いというものは、事実とは大きく違うものです。大切なことはリアルでしょう。
誰にどんなに汚い言葉を浴びせられても、事実は音があっただけ。その後にあいつのせいで傷ついたというのは捉えた人の考え方、捉え方。つまり思いを大切にした結果自ら苦しみの道を選択したのです。そんなもの初めからなかったたのです。
ないものをあると思い握る必要はないでしょう。
事実に生きるのです。あなたはなんの問題もないはずですよ。それが仏道です。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。自分を追い詰める事でドツボに嵌っているのは自覚しているので改善していきたいです