生きていくことが、面倒くさくなってしまった
いつもお世話になっております。
昨日些細なことで、また心がつぶれてしまいました…
辛いことも悲しみも、すべては心が作り出したもの、
それはそれで受け止めつつも、振り回されてはいけない、とは思うのですが、
いろいろな事が重なって、気持ちが沈んでしまって、
これから生きていくのがとてつもなく大変で面倒に感じています。
子供がおりますので、死ぬつもりはありません。
でも、この気持ちにどう折り合いをつけて生きていけば良いのでしょうか。
お返事をいただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
母は強し!!
”子供がおりますので、死ぬつもりはありません”
じゃあ、大丈夫!!
子育てを放棄しない母親は最強だ!!
”この気持ちにどう折り合いをつけて生きていけば良いのでしょうか”
余計な事は考えんでいい。ただ直向きに子どもさんを育てなされ。
面倒と"思っても"生きている
あなたは、10秒前の出来事は事実だと思いますか?それは今ありますか?
どこにもありません。
つまり過去の出来事は、幻のようなものです。記憶は記憶でしかない。記憶は薄れ忘れ、時には書き換えられてしまうほどのあやふやなものです。
思いも同じ、その瞬間思うということがある。しかし、次に気がついた時には、さっきまでのことから離れ新たなことを思い考えている。思い出すということはあっても、それは同じことではなく、「今」新たに思ったという働きにすぎないのです。
生きるのが面倒と言いながらあなたの体は生きようとしている。意識しなくても心臓を動かし、呼吸をし、髪は伸び、細胞は生まれ変わっている。
気持ちと事実とは全く違うものです。
学ぶべきはあなたの体そのものです。思い、考え、がネガティヴに働いても、体はそれに関係なくあるがままを受け入れていきている。その事実こそ私たちは目を向けるべき場所なんです。
思っ"た"ことは過去の話。美味しいものを見たりお笑いを見ていたら、その思いと離れ切って生活している自分がいるでしょ。できるのです。できているのです。目を向ける方向を間違えないようにしましょう。
質問者からのお礼
質問してから1日もたたないうちにお答えをいただけて、思わず涙が出ました。
とてもとてもありがたいお言葉、心より感謝いたします。
邦元さまと転落院さまから頂戴したお言葉に、今私が見つめるべき事柄はそれじゃない、ということに気づかされました。
自分の心をないがしろにするわけではなくて、それを対処できる状況になるまで、横に置いておいて良いのだ、と思えるようになりました。
一朝一夕には心は生まれ変わりませんけれど、少しずつ丈夫な心を育てていきたいと思います。
有難いお答えをありがとうございました。