今まで傷つけ、傷つけられてきた人について
最近学生時代や以前の会社で関わった人たちについて考える時間が多いです。
子育てをしながらフルタイムで働いておりますが、仕事がルーティンな為か様々な事を考えてしまいます。
中学生の時に後輩の容姿をからかった事。
高校生の時に友達の悪口を言った事。
大学生の時に友達と喧嘩をして絶縁した事。
友達だと思っていた人にいきなり無視された事。
自分の容姿をからかわれた事。
何かと張り合ってきた同僚の事。
など、今となってはどうすることもできない過去の事ばかり。
傷つけた人たちの事については、正直謝りたいです。もしかしたら、私が原因で中退したのかな、、など考えれば考えるほど自分がしてきた事が怖くなっています。
最近は本当にこのことばかり考えて、仕事も上の空、子育て中も上手く笑えない、傷つけた人がSNSをやってないないかチェックするなど、何かしていないと落ち着かない状態です。
傷つけた人に関しては申し訳ない気持ちでいっぱい、傷つけられた人に関しては不幸になればいい、と考えています。
どうすればこの気持ちがおさまるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それぞれきちんと生きてます
大丈夫です。みんなそれぞれ新しい道を生きています。その時のまま止まっている人はいませんから^ ^心配なしです。憎む必要もありません。あなたも、お子さんの成長とともに変化してます。その時代には生きていませんから。記憶として思い出しているだけですよ。
先日こんなことがありました。エレベーターで混み合っている中で、中年夫婦の奥様が「イテーな💢!」と怒鳴りました。一瞬の出来事の中でしたが、外国の方の持つキャリーバッグに足を踏まれたらしいのです。外国の方は「ごめんなさい」とすぐ謝り、次の階で降りて行きましたが、その後「そんな言い方ないだろ」と旦那様に怒られていました。
奥様はきっと始めは痛いと思っただけ。でもその1秒後に、瞬時にこの人の持つカバンで足が踏まれた。この人のせいだ。となりイライラを声にしたのでしょう。
禅で言えば「痛い」で完結している。それなのに、その後にあーだこーだ思いを持ってきてこねくり回すものだからイライラとなる。私たちの生活の苛立ちや後悔、不安などの悩みは全てこの「あーだこーだ」の部分。終わった後のこねくり回しです。
どこに目を向け生きたらいいか。分かりますよね^ ^
質問者からのお礼
ありがとうございます。
恨まれていないか、未だに傷ついていないか心配です。
私などよりも幸せに穏やかに過ごしていて欲しいのです。
傷つけられた人に関しては無関心でいようと思います。