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前向き

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有り難し有り難し 16

不のループみたいのは存在するのでしょうか?
嫌な事が続いています。それでも、前向きに前向きにと気持ちを切り替えてはいるのですが、さすがに何度も続くと心が折れそうになります。
良いことが続くようになる心掛けみたいなものはありますか?
それとも、このまま耐えていくしかないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が作っています

否定、非難、批判、悲観…、これらの「ひ」が「負」になって心のバイキンマンになっています。はひふへ、ほ~!!
こんにちは。こころのバイキンマンを退散、プラス思考講座も開いております。前向き上向き楽観ポジティブとにかく明るいスキンヘッド、パピプぺポ丹下です。
外の出来事には良い悪いや正や負はついてません。
まずは今日は、ここだけ悟りましょう。
たとえば昨日の大雪も、大人にとってはメーワク。子供にとっては嬉しい。学校幼稚園休みで親は困る。
恋人たちは萌え萌え。わたしゃ、腰が痛い。地元の人の通り道も手伝ったので喜ばれましたし、少しやせたかもせいれません。
事実の方には、人間の良いの悪いのだのはなにも着いちゃいません。それをとらえて評価するのは全部自分だからです。
あなたが嫌いな人でもその人を好きな人がいます。
苦しい仕事でも、それを好んでやる人もいます。
負のループは自分が生みだしています。
それを負とみなしている思考ループが続いているだけなのです。
厳密には、自分が頭の中でそのものを「わるいもの」とみなしている事が、ネバーエンディングネガティブシンキングを生み出します。その思考のネガティブな川の流れをせき止めるにはポジティブな川の流れも大切ですが、実は坐禅が効果的なのです。
何故なら、良いの悪いのを思い起こす以前の状態、ありのままのまっさらな、エルサもアナもどっちが良いでも悪いでもない、自分の好き嫌いの思いの雪に覆われる前の少しも良いも悪いもないワ♪なレリゴーな世界に目覚めることができるからです。(←丹下宅では子供が毎日アナ雪を観ているそうです)
一度雪がとけたら日曜坐禅会にお越しください。負の連鎖を断ち切りましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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