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孤独感

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最近、孤独感が強いです。

職場でも、プライベートでも孤独です。

自分は、積極的に人と関わるタイプではありません。

孤独を解消するには、どうしたらよいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【至誠心】まごころ

”自分は、積極的に人と関わるタイプではありません”
あなたのほうこそが、他者と関わりから逃げているようなものですね。
せっかくあなたの世話をやいてくれた人も、あなたに壁を感ずれば、それ以上踏み込んでいかなくなるのは至極当然。相手が大人であればあるほど、あなたを尊重すればこそ、不要意に土足で踏み込んでいくような真似は慎むでしょう。

”孤独を解消するには、どうしたらよいでしょうか”
あなたの言っていることは無茶です。
もし、これを解消したいのであれば、積極的に人に関わっていくしかないのでは?でも、べつにホストや芸能人たちのように粋なトークやジョークを言えるようにしろと言っているのではありませんよ?

「こころ」はだれにも見えないけれど、「心遣い」は見える。
「思い」は見えないけど、「思いやり」は見える。

もしよろしければ、この動画を観て参考にしてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=TLsnF4Gx-E8

人と人との縁は、こうやって深めていくものだと思います。

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
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「孤独」と「孤独感」

ご相談拝読しました。

最近強く「孤独感」をお感じなのですね。そして「孤独」を解消したいと考えていらっしゃる。

では「孤独」と「孤独感」の違いはなんでしょう?解消できるとしたらどちらでしょう?

『仏説無量寿経』というお経では私たちの存在について

「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来たりて、行(ぎょう)に当(あた)り苦楽の地に至り赴く。身、自らこれを当(う)くるに、有(たれ)も代わる者なし。」

と言い当てています。生まれてくる時も死んでいくともずっと「独り」、つまり「孤独」ということです。しかしそれは同時にただ単に「孤独」というだけでなく「代わる者なし」、つまり「独り尊い」=「オンリー1」ということでもあります。

孤独は悪い事だけではありません。孤独だからこその尊厳もそこにあるのです。それこそが「孤独感」を解消する=「受け入れる」「超えていく」道ではないでしょうか。

たとえ四六時中連絡を取り合う友人がいても、生活を共にするパートナーがいても、職場で
共に励む仲間がいても「孤独感」は感じ得ます。でもそうではない時もある。事実としてはずっと「孤独」という状態を抱えながらも「孤独感」はネガティブなものとして問題にならない時もある。
それは自らの孤独に尊厳を見出せている時でしょう。

もちろん方法論としては自らの尊厳を見出すためにも他者と交わるという事は否定されることではありません。
しかし気をつけなければいけないのはいたずらにただ交わってもそこには「孤独感」を強く感じる要素は生じうるという事です。

私たちはどんなに深く他者と交わろうとも他者の心の中の事は1mmも分かりません。どこまでも自分の心に引き当てて想像するしかできません。

だから誰かと一緒にいても「誰も本当の私を分かってくれない」と絶望したり、SNSでいくら数千数万の人とつながってもむなしさを感じたりします。それが「孤独感」です。

でもその「孤独感」は私と同じように誰もが感じ得るものなのだと、そしてその上でそれぞれの縁の中でその人の命を賜り、自らの生きる意味を求めて人生を歩んでいるのだと目が覚める所に「孤独」という事実の上においても「孤独感」を超えていく尊厳が見出されていくように感じます。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

参考にさせていただきます。

ありがとうございます。

参考にさせていただきます。

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