仏様の道と異なる道(医療編)
「病気の仕組み」が解明されたとしたら、治るのか治らないのかも、はっきりと断言できるのかも知れません。しかし、時には現在の医学で証明出来ないような「奇跡の生還」というものが存在します。
科学的な根拠に基づいた治療では治せない大病を患った時、人は「民間療法」という選択をする場合があります。「藁をもすがる思い」でです。ほんの微かな望みを頼りに、科学的根拠のない「民間療法」に挑む時に、忘れてはならないことがあります。
「治った人がいる」≠「治る」ではなく、「治った人がいる」=「奇跡」「たまたま」ということです。
「STAP細胞」は、本当に存在したのかしなかったのか、それと同じ要領です。もしかしたら「奇跡的」に「STAP細胞」は完成していたのかも知れません。しかし、証明出来なかった。だからと言って「存在しない」とは言い切れない。何故なら、時に「奇跡」は起こるからです。私は、ある時本当に「STAP細胞」が出来たのではないかと思っています。ただ根拠と証明が出来なかっただけで。
治療でいう「民間療法」が「STAP細胞」。確かに、病気が治った患者様がいたのでしょう。しかし、科学的な根拠がなく、また、不確実な為に「保険適応外」となり、膨大な治療費を請求される…
私は、ある「民間療法」に不信感を抱いています。その「民間療法」は、普通の精神状態で見たら、明らかに「アウト」、なのにそれを信じ、命懸けで、命乞いをする、「藁をもすがる思い」の患者様が、いろんな地域から集まる病院があります。集まる患者様らは、皆「先生」をまるで「教祖様」のように信頼して心酔しています。
入院施設はなく、コンテナの中での共同生活。食事も出ません。その劣悪な環境に自分達が置かれていることにも気付かない、もう治す手立てのない弱った患者様たちが、先生の「気合い」を感じる治療、施術らしきものの為に、コンテナと病院を行ったり来たりの生活を送っているのです。結局、亡くなるケースが多いのですが、もし遺族がその先生に「何故、私の娘は亡くなったのですか?」と尋ねると「私を信じる力が足りなかったからです」と言われてしまいます。
「信仰の自由」は私たちの権利です。そして「奇跡」は不完全な社会でたまに起こります。しかし、「医師と患者様」は「教祖と信者」ではない!「仏教の救い」とは異なる危険な医療行為があることを、お坊さまはどう思われますか?
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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こんにちは。
おっしゃる通りと思います。
以前も書いた事があるかな?私はひとつの意見に対し、必ず逆の意見を探すようにします。
調べると、アメリカで「祈りの実験」の話がありました。回復を祈られた人と祈られなかった人には差があるのか、科学的に調べてみたというものです。結果、祈られた人の方が長生きしたそうです。
http://www.health-station.com/d-42.html
まあこのネタ自体が都市伝説的なものかもしれませんが、真剣に「祈れば治る」と考えている人もいるわけです。
回復を祈る、また祈らずにいられない姿は尊いと思います。でもコンテナですかぁ。劣悪な環境で心配ですね。医療行為とはいえませんね。まあ劣悪な環境が、鍼灸治療の原理(自然治癒力の活性化)で回復に向かうこともあるかもしれませんが、推奨できるものではありませんね。
そして、ここが一番。「祈るだけで治る」「治らなかったのは祈りが足りない」という考えには私も非常な違和感を感じます。学校の成績も「祈りさえいれば上がる」のか?人間関係も「祈ればうまくいく」のか?そんなはずはありません。誤った宗教観だと思います。これはここにも何度も似たような質問がたくさん来ます。祈りも大切ではあるが、それ以上に自分の行動なのです。そのような勘違いには、ひとつひとつ答えていくしかないですね。ありがとうございました。
質問者からのお礼
光禪様、こんにちは。お返事ありがとうございます。私は、以前、私の病気を診て下さっていた医師の繋がりで、その「危険な病院」と接触している時期がありました。同じ医療関係者ということで、勧誘するメールが頻繁に届くようになり、何回も「うちの先生に会いに来て下さい」と言われ続けていました。金銭的な援助もお願いされていました。が、私は、どうしてもその病院も先生も信じることが出来ませんでしたので、残念ですが、せっかくそれまで私を担当して下さっていた医師とも、距離をおくことにしました。今も連絡を絶ち続けています。もう「洗脳」されていると、私は感じています。危険極まりない新たな病院が生まれてしまったのですが、私にはもうどうすることも出来ません。可哀想だと思っていますが、その医師のところに通う患者様たちのことも助ける?気付かせる?そういうことも一切出来ません。自分から絶った先生との「縁」も、もう形を成していません。「縁」を完全に切ってしまいました。そのことによる「罪悪感」が現れたのは事実です。申し訳ない気持ちもあります。しかし、私にはもうどうすることも出来ないので…多分、このまま信頼関係が戻ることは無いと思います。膨大な治療費を要求してきておいて、死んだら「信仰心が足りなかった」と言われるような病院が、実在することだけは、どうか皆様に知っておいていただきたいものです。