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罪悪感、恥

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有り難し有り難し 41

こんにちわ。私は3年ほど前、自分の人生を振り返った時にいくつかしてはいけないことをしてきたことを認識しました。例えば、小学生や中学生の頃友達をからかっていたこと。暴力をふるったわけではありませんが、やられた側からすればとても辛いことです。他にも中学生の頃、人生で一番後悔していることをしていました。当時はやった直後に後悔をしてやめようと思った程度で反省はしていませんでした。そして三年前に今までのことを振り返った時に、すごく罪悪感を感じました。過去の自分が、今の自分の善悪の基準で許せないことをしていました。謝罪、償いができることならまだ救われたかもしれませんが、いくら反省をしたところで、迷惑をかけた人に何もすることはできません。私の自己満足です。もちろん、反省をしてそういったことはしないと決意はしています。そうして考えているうちに、ニュースで見る悪いことをしている人、捕まっている人を見ると自分もあの人たちと同じなんだな、むしろバレないで今に至っているので罪を償っていない悪人だと思いました。それ以降、事あるごとに自分のしてきた事を思い出して罪悪感を感じます。そして、自分によくしてくれる人、友達、家族に申し訳なくなります。自分はそんなことしてもらえるような人ではないと思ってしまいます。もし、自分がこういう悪いことをしてきたということを知ったら、そもそも私と関わろうと思わないのではないか、私はいい人のふりをしているのではないかと思います。過去にこだわるのは良くない、今をよりよくしなければとは思いますが、どうしても自己嫌悪から抜け出せません。というよりも、逃げてはいけないと思います。人は過去や痛みを忘れるもので、常に辛いわけではありませんが、事あるごとに思い出しては落ち込み、またそれが和らぎ、を繰り返して生活しています。何かアドバイスいただけると幸いです。長文を読んでいただきありがとうございます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去の自分と今の自分

質問読ませていただきました。

悪いと思っても反省もしない方が多いこの世の中で、過去の自分を反省できる。それだけでもバンバンジーさんはとても素晴らしい!
私はそんな褒められるような人間ではないと思われるかもですが、人が出来ないことを出来る人は、やはり素晴らしく思います!

過去の罪を後悔されてるのですね。
犯した罪、それは決してなくなったりはしません。
しかし、人間はその罪を悔いて反省することができます。
『反省して何をするか?』そこが一番大切です。

仏教のお話に「阿闍世王(あじゃせおう)」という方のお話があります。
今はインターネットにもたくさん流れていますので、一度探してみて下さい。

ここで簡単に要約すると、
悪い人にそそのかされ父親を殺害してしまった。その罪のせいで病気になってしまうが、自分の罪を悔いてお釈迦様に相談にいった。すると、病気が治った。その後、阿闍世王は仏教を守った。
というお話です。

また、過去の自分も今の自分も、同じ自分に違いありません。
先ほどのお話で言うなら、父親を殺害したのも、罪を悔いてお釈迦様に相談に行ったのも、仏教を守ったのも、全て同じ嘘偽りの無い「阿闍世王」なのです。

バンバンジーさんは、この阿闍世王の話を聞いて、「父親を殺しておきながら、なんて偽善者なんだ」と思われますか?
それとも「自分の罪を悔いて、前向きに行動した素晴らしい人だ」と思いますか?

ぜひ参考にしてみて下さい!

このように偉そうにお話しさせていただいている私自身も、過去に嘘をついたことがあります。喧嘩して人を殴ってしまったこともあります。
しかし、それを反省し、悔いているからこそ、「今をどう生きるか?」を考えることができるのかもしれません。

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おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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日々懺悔なさってくださいね

拝読させて頂きました。
あなたは過去してしまった悪い思いや行いについて深く後悔なさっておられるのですね。そしてそのことにさいなまれていらっしゃるのですね。あなたのお気持ちを心からお察しします。

私達はどのような方でも大なり小なり悪しき思いや行いをしてしまいます。貪りや怒りや愚かな思いや行いはどなたの心の中でもあるものです。ですからそのような悪しきことを考えしてしまう私達であることを先ず自覚してみること、そしてそのような悪しきことを反省すること、そのような悪しきことを心から懺悔することつまりありのままに思いを神仏やご先祖様に聞いて頂くこと、そしてそのような悪しきことを深く謝罪すること、これからはそのような悪しきことをしないようにと心がけて生きていくことが大切なことです。
これは仏教の教えの一つです。

私も朝起きてから一回り掃除をしながら昨日までのことをゆっくりと考えなおして悪しきことを見つめ直します。そして仏様の前でお勤めをしながら自分が考えしてしまった悪しきことを深く反省して懺悔して謝罪しそのような悪しきことをしないようにと心から仏様にお誓いします。そして私の一日が始まるのです。そうすることでいつでも仏様や神様やご先祖様がしっかりと私を見守っていて下さいます。そして毎日を健やかに過ごすことができるのです。

もし宜しければあなたも朝起きてからすぐに仏様や神様やご先祖様に手を合わせて心からあなたの考えたことやしたことを心から聞いて頂き、悪しきことを反省なさり懺悔なさってみてはいかがでしょうか?そして仏様や神様やご先祖様に聞いて頂きながらそのようなことをしないようにと心からお誓いなさってくださいね。

いつでも仏様や神様やご先祖様はあなたの思いをしっかりとお見通しですし、全てを受け入れて下さいますからね。

もしご興味ございましたら
懺悔偈というお経をおとなえなさりながら手を合わせて下さい。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
です。

あなたがこれからもずっと仏様や神様やご先祖様のお導きやお守りを頂きながら正しく豊かな毎日を皆さんと共にお健やかに生きていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

コメントありがとうございます。多くのアドバイスいただき感謝しております。前向きに行動することは素晴らしいと思えますが、殺された父親にとっては阿闍世王とそそのかした人は許せないのではないでしょうか。私は阿闍世王はそそのかされて罪を犯しているので全てが悪いとは思いませんが、素晴らしい人とも思えません。

今をどう生きるかということは、ごもっともだと頭ではわかります。ただ、それが罪から逃げるようでできません。

ご回答いただきありがとうございます。日々懺悔をすることで自分を正し、生きていくんですね。実践してみようと思います。ありがとうございました。

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