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自分が周りの人とは違う存在に感じます

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私はずっと生きにくさを感じていました。
最近、他人を羨んだり劣等感が強いこと、そのくせ自分は周りとは違う特別な存在だと感じておりプライドだけは高く傲慢になっていました。何故だろうと考えたときに、幼少期から何度も繰り返された転校が原因じゃないかと思い当たりました。転校する度に周りからは珍しいものを見ているような視線を受けてきたので、今でも自分は周りとは違う存在なのだと思い生きています。私はスポーツができる方だったので転校する度に誉められてきました。しかし、特別な存在で有能扱い、有能扱いを受けて期待されてきたため、そんな理想の昔の自分と現実とのギャップに苦しんでます。本当は平凡な弱い自分なのに。
どうすれば、自分の特別感やプライドの高さを治すことができるのでしょうか。本当に苦しいです。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

単の気づき

禅とは、人と分け隔てをすること、比較することではありません。生きにくさを感じてる理由は、そうした分け隔てを起こしているからなのです。
「禅」とは単(ひとえ)を示すと書きます。裏地のない一枚の布です。
物事や私たち人間、生き物、環境全てにおいて、自他がないということです。私とあなた、私とそれ以外と一般的には分けて考えていると思いますが、事実はそうなっていないということです。眼に見えるもの、聞こえてくる声、音、香ってくる匂い、食べた時の味、触った感触、暑さ寒さ、これらは全て自分に起きている現象なんです。自分事ともいえる。しかし、そこに自我はない様子がある。そこを示しているのが「禅」なんです。

そうした事実に救いがあるということです。目の前に、褒められて喜んでいる人がいる。それを素直に喜べる力がある。辛く悲しんでいる人がいたら、一緒になく力がある。

知り合いが、いい車を買っても、それに乗せて貰えば、自分の様子として楽しめる力がある。そこに自他はないのです。

隔てを作らず、自らの体の働きに学びながら生活していたら、単の気づきがあると思いますよ

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

邦元様
ありがとうございます。「気づき」ですか。ありのままを見る、感じという事でしょうか。音がなったら、ただの音として聞く。そういった境地が悟りと言うことなのでしょうか。なかなか今の自分には難しい事だとは思いますが、参考にさせていただきます。御返事が遅くなり申し訳ございませんでした。ありがとうございました!

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