過去の過ちと、これからについて
私はこれまでにたくさん悪い事をしてきました。今になって考えると、もう少しよく考えていれば、防げたようなこともたくさんあります。それを、自分の軽率な考えのせいで人に迷惑をかけ、人の心を踏みにじり、傷つけるようなことをいろいろとしてきてしまったと思い、後悔することが時々あります。
迷惑をかけた特定の相手がいる場合は、謝れれば一番良いかもしれませんが、私にはその勇気がありません。本人に謝罪が出来ない代わりに、神様や仏様に手を合わせて、「あの時は馬鹿なことをしてすみませんでした。」と謝りましたが、自己満足にすぎないかもしれません。
hasunohaや他のサイトでも、私のように過去の過ちについて相談された方がたくさんいらっしゃって、その相談ヘの解答の中に「二度としないように気をつけるとよい」や「反省している時点で罪は半分償えている」などと、優しい言葉がありました。私もその考え方が良いと思っていて、特に、「二度としないように気をつける」ことが大事だと考えています。
自分で悪い事をしておいて謝れないことを棚に上げて、「二度としない」だけで済ませるのは卑怯かもしれませんが、変えられない過去よりも、これからに目を向けるという点では正しいと思います。お坊さんはどうお考えですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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その通りだが、具体的にどうする?
こんにちは。お若いご様子ですので、「失敗や苦しみは、みな自分のストーリー作りの種」と思って、肥やし(個性ともいう)にしましょうね。
ですので、まぁ「私のお馬鹿さんノート」みたいなのを作ってはいかがでしょうか?
と言っても、長々と書くと落ちるので、ポストイットの「ノート」程度のものをスクラップしていく感じで。
「過去にたくさんの」等という具体性のないままで反省しても、行動は余り変わらないはずです(そういう捉え方しかできない失敗というものもあるが)。「どんな時、どこで(場所や環境や状況)、どんな相手に」何をしたのが「どういう失敗だったのか」を見直してみる。言葉にしてみる。あるいは流れ図にしてみる。
そうして、自分の情けなさやダメさ加減をたくさん知り、その都度「あー仏様、またやっちまいました」と懺悔し、謝れる人には謝り、「昔こんなことがあってね…失敗したわー」と笑い話だか教訓が語れるようになったら、あなたも立派に「人の役に立つ人間」になっている、という塩梅です。
質問者からのお礼
佐藤良文様ヘ
ありがとうございます。
私の過去の過ちには、人に言いにくく、まだ笑い話にできそうにないこともあります。出来れば墓場まで持っていきたいものもあります。自分で書いてみることさえ恥ずかしいですが、私には必要なことだと思いました。
でも、誰かに書いたことが見られたらどうしようという躊躇いも若干あります。ですので、実行することについてはもう少し考えさせて下さい。
具体的なアドバイスをくださってありがとうございます。
佐藤良文様ヘ
少し考えたのですが、佐藤様のおっしゃる通り、「私のお馬鹿さんノート」を作ってみようと思います。そのように書いてみることで、自分を見つめ直し、何がいけなかったか、次からどうすれば良いかをより深く考えることができると思いました。そしてそれを誰かに話して、教訓として人の役に立てるなら、「失敗は成功のもと」ではないかと思います。
今まで、自分にそのつもりはなくても、自分の判断不足で人に迷惑をかけることが時々あって、それに気づく度に後悔する、という繰り返しでした。ですので、そうなった時に何をすればよいか、具体的に教えて下さったので、実践したいです。