過去に人を傷つけてしまったこと
過私は去に人を傷つけました。
最近になって、急に後悔と自責の念が強く毎日が辛く、頭からその事が離れず、体調が崩れ、このままこの状態が続けば心療内科で薬を貰うことになりました。
私の母はは再婚しており、
ある時、再婚相手の子どもと上手くいかなくなりました。
血の繋がらない兄弟です。
その人は結婚し嫁に行きましたが旦那と合わず私と父と母が住んでる家に子どもを連れて来ました。
そうして半年が過ぎました。
私はその際に、家を継ぐのは私の子供だと言われ、憎しみに囚われました。
では、私がこの家に本当の父親を捨てさせられ、養子縁組し、この家の中で今まで頑張ってたことはなんだったのだと。
そんな憎しみに囚われたある日、その人に対して、早く出ていけ、ここは私の家だと言いました。
相手に舌打ちをしたり、相手の子どもまで拒絶したり、思い返せば本当に最低な事をしました。
今ではその人は家に寄り付かず、私が追い出したのです。
私は父や母の孫と娘との関係も、家に帰ってこれる環境もみんなから奪ったのです。
私はみんなに恨まれていると思います。
特にその血の繋がらない姉、その子供たち。
私はもう会うことも叶いません。それがお互いの為です。なので、直接はあやまれません。
ですが、最近になって毎日毎日その事を思い返し、後悔しています。
私にも子供が生まれたからだと思います。
その時より、相手の気持ちが分かったり、
子供にそんな思いをこの自分がした事に悔やみきれません。
自分の子供がその人たちに苛められないか?
恨まれたりしないか?
本当に毎日毎日が恐怖です。
同じ地元で、どこかでばったり会ったりしないか?
恨まれてるのを目の当たりにするのが怖い。
子供が恨まれるのが怖い。
恐怖です。
私は許されたいです、そして不安を無くし、すべてを忘れて幸せになりたいです。それは、自分がやったことを差し置いてのエゴなのは分かっています。
養子縁組を抜けたらいいのか?
そんな事まで考えます。
私はどんな風に思われていますか?
私は一生後悔をして、生きていくべきですか?
どうか教えてください。毎日が辛く、恐ろしいと思います。壊れてしまいそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出会えぬうちは、相手の安らぎと幸せを願う。
まずは、おつらいことをお見舞い申し上げます。
他者に対し、のちに後悔してしまうような発言や行動をとる、
ということは、誰にも経験があるのではないかと存じます。
わたし自身にもあります。実の妹に対して、将来の仕事の事で
お前には無理だ、もっと堅実に、夢なんかみないで生きろ、
という旨の事を言い、彼女を傷つけてしまいました。
謝ったとはいえ、それはずっと残っています。
大切なのは、そのような事をしてしまったと、反省し、
懺悔の心を持つということです。これを持たない方が
おかしいのです。
あなたはこころから懺悔して、それがし足りないと思うが為に
ここに書き込んで下さったと存じます。
ただ、
もうひとつ大切なことがあります。
それは、あなたが発言してしまった人と出会うことを「恐れない」
ということです。
人間社会、思っているよりも狭いです。必ずどこかで出会います。
その時に、まず相手がどう思うかよりも、「あのときはごめんなさい」と
いつでも言えるように、こころで練習をしておくことです。
そして、その発言をしてしまったときの、あなたの心情をしっかりと
伝えることです。
許してとか、許されないとか、それは相手が思うことでありますから
あなたがそれを気にしても仕方がありません。
あなたはただ一心に、申し訳なかったことを思う、その思いの中で
相手の幸せを願い、祈りを傾けていってください。
あなたにさちあれ、さちあれ。合掌
後悔の心を力に変えて
こんにちわ。拝見いたしました。ご自身の子供の頃の出来事を思い出し、自責と後悔の思いに押しつぶされそうな毎日を送られているのですね。心中お察しいたします。
子供の頃の事はその時の環境や事実を上手く受け取ることが出来ない事は多々あることだと思います。ご自身なりに家族の理不尽さに戸惑い、人を傷つけてでも自分を護らなければ自分自身がつぶれてしまっていたかもしれませんね。
ご自身が自責と後悔の気持ちをお持ちになったこと、その事に気づけたことがすばらしい事だと思います。自分を正当化せずに自分の弱さを見つめる眼を持つことは簡単なことではありません。お子様に恵まれてそのことに気づかれたとのこと、お子様はその事を気づかせてくださった仏様の子だと思います。
どうぞご自身のお子様は家族、支えてくださっている周りの方を大事になさってください。いのちはどこかでつながっているものです。あなたがまわりの方々を大切になさっていけば、いつかそれが巡り巡ってあなたが傷つけてしまった方に届くこともあるでしょう。「恩送り」という言葉があります。自身を犠牲にする必要はありませんが、今ご自身が受け取っている幸せを近しい方からおすそわけし、余裕があればあなたと同じような境遇や悩みを持っている方に力を貸してあげてください。誰かを微力ながらでも助ける御縁を大切になさたならば、きっとご自身が抱える気持ちもまた昇華していくことが出来ると思います。
後悔の気持ちを持つことは自分と向き合うことですから良いことです。それを自身を責めることだけに終わらせず、自身にとって大切な人を幸せにする力として歩んでみてください。
もしお寺やお仏壇など仏様に手を合わせる機会がございましたら、もう会えぬ方々の幸せと心の安寧を念じ下さい。仏様はきっとその思いを届けてくださると思います。
合掌