心配から逃れられません
よろしくお願いします。
わたしは仕事をするようになってから徐々に失敗への恐れから確認してもしても間違える妄想をしてしまい、常に精神が疲れているようになりました。特に検査という仕事についてから強くなり、あれ?ちゃんと出来ていたかな?と一度思うとそのことで頭がいっぱいになり不安で押しつぶされます。小さなことだし、確認した上で間違えていたら?と不安になっているので人に言えません。ひどいときはゴミ箱を漁ってメモを確認したりします。不安なので、確認して、その確認の時にまた違うミスをしたのでは?と無限ループです。調べると強迫性確認障害かな?と思います。なにか考え方を変えたらいいのでしょうか。失敗を恐れるな、は仕事の面では違うと思うし、しかしこのような感じでは仕事が進みません。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝読させて頂きました。
よくわかりますね!あなたのその不安な気持ち。
私もサラリーマンの時にはよくゴミ箱全部ひっくり返して漁って小さなメモとか見つけてました。それも夜やってましたね!ひどい時には夜中何時間もかけてやっていた時がありますね。
やはりそういう時には強迫観念が強くなっていますから自分で自分のことを信じられなくなっているんですよね。
極論を言えば気にしないことです。
ゴミ箱にポイしたら気にすんな!ってことです。
人間ですから忘れてしまうこともありますし、勘違いもあるんです、それが人間ですからね。
無理矢理なんとかしようとか、思い出そうとまでしなくていいんです。
メモが見つからなけば地球が滅亡するわけでもないですし、あなたの生命にかかわるわけでもないですからね。
見つけるのは単なる自己満足の部分もありますからね。
どうぞ少しずつ少しずつおおらかに生きていきましょう。なんとかなりますからね。
もっと心配してみる。
みむ様こんにちは。拝見させていただきました。
「失敗への恐れ」ありますよね。そしてそう考えるみむさんはとても責任感のある優しい方なのだと思います。ですから心配しすぎるというのは短所ではなく長所であり、仏教的に言えば人間に長所や短所などなくただ「特徴」があるだけです。小学校の時「足が速い」からと言って人生の全てに安心できるかどうかは別の話だと思います。
メモなどはスマホでどんどん写真に残しましょう。自分を責めるより、上手に「工夫」することで上手く特徴を活かすことができます。特徴は「治そう」とすると反発します。「ただそう特徴があることに気づいている」だけで良いです。
不安になった時、その不安に名前をつけましょう。「不安のふーちゃん」とか冗談っぽくくだらない名前がおすすめです。不安がきたら「ふーちゃんがきたー」と声に出す。「ふーちゃん出てきたのね大丈夫だよ」と声をかける。
「心配かけてもいい」「迷惑かけてもいい」「責任を手放していい」とつぶやくこと。気持ちはなくてかまいせん。ただ口にだして言う。
仕事が一段落した時や落ち着いた時など、みむさんの好きな食べ物・趣味を行いましょう。その際に「その時の感情をじっくり味わう」ことをしてみてください感情に浸るのもよし、感情を色であらわしてみるのもよし。ともかく安心している時の感情を味わうこと。そうやって心の中に安心のスペースを少しずつ置いていきます。
自分の今抱えている悩みに直接向き合いがちなのですが、実は目の前に起こっているのは症状であって実は背後に問題の根っこが隠れていたりします。ですから上記の事は一見目の前の問題に関係ないように見えるかもしれませんが、心のものにアプローチしていく方法なのでやりやすいものから続けてみていただければと思います。「心配」は自分を守ってくれているものだったのだと気づいた時に、自然と問題は問題でなくなっていると思います。「よし今日はとことん心配してやる」「付きやってやるぞー」と思ってみる。未来は明るいです。応援しております。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
すべては考え方次第なんだと思いました。自分で自分を追い詰めるのではなく、うまく付き合っていかなきゃなと思いました。
ありがとうございました!